2008年3月28日金曜日

知ることは大切だ

 知ることは大切だ。先日、朝鮮学校を知って交流する集会が、大阪・生野区であった。大阪には、在日の人が沢山住んでいる。その朝鮮学校は拉致問題以来、さらなる差別にさらされている。
 拉致問題と学校を一緒にされてはたまらない。少なくとも事件を引き起こした者と朝鮮学校の子供たちは関係ない。
 とにかくボクは日本にしろ、朝鮮民主主義人民共和国にしろとにかく『国家』というくびきに個人が縛られるのがたまらないと感じてしまう。
 子供の頃、友達の家に遊びに行った。
家の前に見知らぬ旗が風に舞っていた。
共和国の旗だった。家の中に肖像画が飾ってあった。それが金日成だと後に知った。その子の親は、戦争中、日本に渡ってきたそうだ。中学校に進級するとき、舞鶴の民族学校に進学したが、馴染めなくてすぐ帰ってきた。ある朝、教室の前に母親と立っていたのを憶えている。
 30年以上前の、京都府北部の田舎町のことだから当然、学習塾なんかはない。そろばん塾はあった。お寺の下のプレハブが教室。そこに彼も通っていた。ボクよりソロバンができた。
 
 そのころ関西は同和教育の創成期だから差別に対しては、教育現場では敏感だったと思う。学校で教えられたことで脳細胞に刻まれたのが「寝た子をおこせ」だったかな? 差別の実態を子供に教えて、差別に立ち向かえる人間に成長する。というのが命題だったようだ。
 高校は、一人京都市内に進学したので、その後の彼のことは分からない。
 とにかく知ること。そして情報はいつでも公開されていること。それが一番、健康な社会ではないのでしょうか。

2008年3月18日火曜日

KY?

 空気が読めないとアカンのか!
 うん~
 相手を思いやることは大切ですね。でもKYという単語で集団に個人を縛っちゃアカンはな。そう思う。
 環境問題に取り組むミニコミを出す方が、この場では批判しあわないことを大切にって話してくれた。長年、障害者運動に取り組む人が「最近の障害者は怒りを忘れている」という。
 確かに障害者自立支援法はあこぎな法律だ。しかし反対運動にもう一つ熱気がないように思う。
 社会の仕組み自体が変化してきたのだとは思う。民衆の怒りがどこかで吸い取られてしまっているのかもしれない。
 というより貧困問題もそうだけど僕らは自前でなんとかしようといているのかもしれない。
 つまり政府なんていらないよ。
 自分たちのことは自分たちで何とかするから。民衆はそう考え始めているのではなかろうか。そうでないと橋下氏を選ぶ大阪府民が理解できないのです?!

2008年3月11日火曜日

映画の上映会

 連合赤軍をテーマにした映画の上映会が京大西部講堂であるそうだ。何人もの方からチラシをもらった。中々行く気がしない。すくなくともその場に漂う空気が嫌だ!
 ボクは当時、小学6年生だった。「総括」という言葉を記憶している。
 侵略戦争から約25年の時間が経った時代。ドストエフスキーの「悪霊」を引用して、革命運動と人間の弱さを語る人もいる。
 その時代を経験する中で障害者の人たちと日常を共にして生きていく人を知っている。そんな人が好きだ。水俣に住み着いた人もいる。確り生活している。
 とにかく皆、どうしようもなく日常の中で生きている。そういう人たちをよく知っている。当時、子供であったボクからするとこの映画を観に来る人たちが作る空間は・・・・近づきたくない。
 もし映画を観て「懐かしむ」人がいたら・・・。ウーン?
 少なくともボクは、このロシナンテ社という場を、何の因果か分からないけれど任されている。この場につながる少数派の声をネットワークできれば、何かを伝えていけるかもしれない。それぐらいの思い入れでとにかくご飯を食べていければ、いいやと考えるようにしている。
 多分、逆エリートのなれの果てというのだろうか、思い込みの激しい世代というのだろうか、そういう団塊の世代の腐臭を漂わせる人がいそうで・・・嫌だ。関係者各位の皆様、失礼の段、ご勘弁を!

2008年3月6日木曜日

行商日記②

 新潟からもったいないが、新幹線で東京へ向かう。お土産に純米酒を2本買う。これも営業のツールだ。
 しかし、新幹線は早い、快適だ。体が楽だ!これが夜行バスだとそうはいかない。お金をかけない移動で一番、体が楽なのはフェリー。これは愛媛、高知そして福岡、大分、宮崎、鹿児島には使える。
 夜移動するのだが、2等船室でも充分手足を伸ばして休めるのが嬉しい。
 9時前に今日泊まる所へ到着。タダで休める貴重なスペースだ。東京に、そんなところを何箇所か確保している。
 ナナイの涙を連載してくれている中井さんが先客でいる。フィリピンの政治的殺害問題をテーマにした映画の編集をここで取り組んでいる。
 2日、日本青年会館での日本有機農業研究会の全国大会に参加、本売り。1年に1回、お会いする方もいる。こういう場に立っていることがロシナンテ社の宣伝になる。

2008年3月3日月曜日

行商日記①

 2月29日→3月1日。夜行バスで新潟.。駅前に早朝7時過ぎに到着。ダム問題の権威・大熊孝さん(新潟大学教授)の退官記念最終講義に参加。500人余集まる。この3月末に「川辺の民主主義」という単行本を出す予定。大熊さんにも書いてもらうのでまずは挨拶。そしてその営業を兼ねての出席。
 まだ時間があるので、駅の待合室ですごす。持参の弁当を食べる。新聞を読む。ボーッとしている。この時間が一番いい。
 9時近くなったので、駅から歩いて10分ほどの距離にある中央郵便局へ出かける。今度、出す単行本のゲラを3人の方々に送っておく。
 「ルポ貧困大国アメリカ」を読む。貧しさが収奪されるために存在することを教えてくれる。労働すべてが、ローンの返済に向けられ、そして生活困窮者へのサポートに名を借りて支給される食料によって肥満が貧困者に蔓延する。そんなアメリカの現実が報告されている。
 11時近くなる。会場のホテルへ向かう。
 ロビーのソファーにじっと座り、どんな人たちが来るか観察。本の売り方を研究。昼前、主役の大熊さん登場。ご挨拶。
 旗野秀人さんも到着。三治さんと祝い歌を披露するそうだ。
 旗野さんは、30数年の間、新潟水俣病者さんの支援者として地域に根ざした取り組みをしてきた人物。実にユーモアに溢れたキャラクターだ。彼が新潟にいたことでどれだけ救われたか。映画「阿賀に生きる」の影の功労者かもしれない。
 地域で人とひとの輪を作ることの大切さを教えてくれる。「水俣病」という深刻な世界に当たり前の日常があることをぽんと世間に知らしめたそのキャラクターは、ありがたい。
 定刻どおり夕方5時に終了。
 自然科学者で市民運動に参加する人が減ってきた中、大熊さんのような方がいることはありがたかった。しかしそんな人材が減ってきているのは寂しい限りだ。
 大熊さんはダムの土木が専門。となるとこれまでの主張は限りなく、建設業界や電力会社、行政を敵に回したもの。そんなポジションの方をどうやって確保していくか。
 それもこれからの私たちの課題だろう。