2008年12月24日水曜日

あとがき

 今年は平成二〇年だ・・。日頃西暦中心の生活をしているのでもう一つピンとこない。
クリスチャンではないが2008年の方が便利だ
▼ロシナンテ社、何とか2008年(平成二〇年)をやり過ごした。生き抜いたゾ!ロシナンテ社は三十九年目だゾ。ただただ合掌
▼最近ひざが痛む。いよいよ歳か。さみしい。先月、知り合いの店で久しぶりに奮発して登山靴を買ったばかりなのに・・・・
▼比良山に登るぞ。上手くすれば日本海が見えるはずだ。高校の地学実習で登って以来だ。山登りはいい
▼最近読んだ漫画は北アルプスの山岳救助がテーマだった。救助者が重傷の遭難者を担いで岩肌を登る。担ぎあげても彼の息は既に絶えている。その遺体に主人公は「ご苦労さん」と微笑む
▼体育は嫌いだった。でも長距離だけは嫌いじゃなかった。紫野高校のグランドから鷹ヶ峰を光悦寺、然林房と走るコースが冬の定番だった。雪の降る中、鷹ヶ峰を走った。まとわりつく雪。吐くと白くなる息づかい。あれはサイコーだった。どうなるか分からないが、来年もとにかく前進しようと思う。 (四方)

2008年12月10日水曜日

ロシナンテ日記

 2008年も残りわずかになりました。
 今年1年、お付き合いいただき感謝です。
ようやく冬の寒さがやってきました。ロシナンテ社、39回目の越冬です。
 さて愛媛県・肱川の清流を取り戻す取り組みを「肱川〜清流の復活を求めて〜」と単行本発行を予定していましたが、編者の都合で延期となりました。あらためてご案内させていただきます。
 その肱川が流れる大洲市へ出かけた際、川漁師の楠崎さんは、「鵜飼を観に来た観光客が、川が臭いと嫌がる」と話してくれました。それだけダムの環境に及ぼす影響は大きいのでしょうね。先日も京都大学で「川の全国シンポジウム」が開催され大勢の人が集まっていました。元国交省の河川事務所長の宮本さんや大熊孝さんなどが発言していました。
 単行本「川辺の民主主義」を販売していて分かってきたのは、ダム問題が社会全体の課題としてまだまだ身近なものではない。徳島市の吉野川可動堰問題では、住民自治・参加まで引き寄せて訴えたことが住民投票を実現させ、徳島市を輝かせたと思います。しかし現状は、一部マスコミや政治家のパフォーマンスの場にダム問題が使われているようにも、私には見えます。例えば、横須賀のアメリカ原子力空母母港化に県知事が反対するとは思えない。橋下大阪府知事なら万歳三唱して空母を受け入れるんじゃなかろうか。ダム問題はそれだけ情報流通産業のマスコミも報道しやすいのではなかろうか。
 大切なのは、徳島の住民投票という民主主義の成果をドンドン活用することではないかと思います。暴漢に襲われ重傷を負わされても産廃処分場を拒否した前・御嵩町長・柳川さんが「情報公開制度を整備したが、町民はほとんど使わない」とこぼしていました。折角、手にした道具は使わないと錆付いちゃう。
 川のシンポで司会を担当していたM市会議員(決して京都市の議員さんではありません)は、平和問題、人権問題もなんでも取り組んでいる。エライ人だと尊敬します。そのスタンスが素敵だ。同様に北摂でダム問題に取り組む高校教師・Eさん。彼も幅広く活動している。大病をしたという。無理せずボチボチと頑張ってください。
 もう一月で今年も終わり。ロシナンテ社、まだまだ前進です。今後ともよろしくお付き合いくださいませ。

2008年11月18日火曜日

おことわり

今月末発行予定でした「肱川」は、編者の都合で来年春の発行となりました。
大幅な予定の変更、お許しください。

さて肱川漁協の楠崎さんのお話を最後まで読みたいかたは、是非、本が出来上がったら買ってください。よろしくお願いします。



京都の街は晩秋から冬に向かっています。紅葉の綺麗な頃になりました。是非、お出かけください。

2008年11月10日月曜日

「肱川」一部紹介②

大洲で国交省が来て委員会をひらいた。市長も市会議員も来よった。その時の議長が愛大の先生やった。ほんに立て板にみずのごとく話しなさる。
「あんたはそれで害がないと思ておいでるんやろ。そうすると私は組合長やから帰ってみんなに話しするのにこうこうこうやったと言うだけではあかん」
「まことにすまぬがあなたの名前で公文書で、『私が永久に保証します』と書いてくれ!」
そしたら黙っておいでるのよ。
「だまっとったら意見の交換にならんやろうが。ものゆわんかい!」
まぁしばらくシーンとしておったでよ。
それで終わって一番最初にきたのが市長のムカイさんやった。
「楠崎さんあがいなことゆうたら話が前にすすみませんで」
「ほいなら、市長と市会議員は一人ひとり、保証するという公文書をだしてくださいよ」
「そがなことはおいきらん」
「それならやめるといいなはれや」


楠崎さんは、30年近く肱川流域の水質測定を続けてきた。その蓄積は、体に貯め込んだ肱川の変化だけではなく、数値という説得力をもつ発言となる。その数字はウソをつかない。

いいかげんなことでボクはものいいよらんで。基礎知識をもっていいよるんやから。ダムの水質の協議会では、基礎資料にもとずいて私の知っておることをお尋ねしますので所長さん!はっきりと答えてくださいよ。
ダムというのは、今まで作ってええというのはなかった
そうでしょうが。黒部渓谷でもあないゆうてつくらなさったが、住民が反対、漁民が反対、がいな被害がでたいな。
国が何百億の補償をしなはったかしらんが、それと同じになるんよ。じゃけんダムじゃとゆうのは最後の手段。
この話しが始まって、パンフレットを出しなさって、国土交通省は、30年代の水に戻すと声明しとなさる。30年代の水に戻りましたと納得できなんだら、私たちは同意しません。それが出来ないなら漁協はダムには反対します。
いかなる手段をつこうても反対しますよ。
 
 
国交省の職員は、ある年限で移動していく。あるものは、楠崎さんの養殖場を訪ね、話しこんでいく。川を分かろうとする人もいることはいる。しかし、転勤で住民と国交省の間はつながない。
 
 
田舎にきたらここの住人になりなはらんと。10年はおって毎日、川の観察をしなさい。私もやりよるんやからあんたもやれんことはない
「それはあんた私は 移動せないかん」
移動せんといいなはれ。しばらく肱川で生活をして観察をするといいなはれ
「いや私は官僚だ」
アータ、官僚官僚と偉そうなことゆうてもわかったことは何一つない。あんたら机の上で書いた数字をまともに思うて。全部違うじゃないか。あれはやったら被害はでるとみんなゆうのに。それでもやったらすぐ出たやないか
ボクは厳しいことゆうから大洲の警察の刑事が
「あんた殺されるぜ」とゆうた。
おれなんか殺したってなんちゃならんゆうんや。それで殺されたったらしかたない。それでも後継者はできるもんよ。心配せいでも。

2008年11月5日水曜日

「肱川」一部紹介①

「肱川」を本にします。
そのうちに一部を紹介します。

まず昭和三〇年代の肱川に戻してくれ

楠崎 隆教
肱川漁業共同組合 代表理事


川漁師・楠崎隆教

昭和16年から漁師やったんやかろのう。そのころは河辺川には尺鮎がおった。ボクは他の人の倍はとりよった。何とるんでも大掛かりなことをやりよった。カニをとるんでも一人が(仕掛けを)3張りくらいしかやりよらなんだのをボクは35張りはりよったんやから。水に張ると一睡もできへん。
昭和25年頃よ。あのころはマツダの軽三輪のトラックやったけどな一晩でヤマほど積んで帰ったことあるよ。

鮎が売れんようになったのは二〇年まえになるぜ。その頃から魚はおるのに漁師は減ってしもうたんよ。ダムが出来て水質が悪くなって魚の質が落ちた。というんやけどあの人ら(国交省の役人)は納得せんのよ。
「根拠がない」とゆうてがらな。それはそこの住民が実感して体験しとることやから。それをわかろうせん。

今は専業者はおれへん。兼業だけや。この八多喜地区だけでも7人、8人おった。漁だけで生活ができよった。
肱川全体で100人からおった。野村にもおったから全体では200人はおったでしょうな。取れたら旅館でなんぼでもこうてくれたんやから。今はそこの観光協会も肱川の鯉ひとつつ買わへんのやから。それは臭うて買わんと思うよ。

組合でも改善する対策をたてようというけどあれだけのダムが出来て水質が悪化すると無理よ。肱川くらいの組合がやることはわかっとる。それは国にこうせんとダムをやらさんとゆうのがおららの義務よ。それに賛成してくれる子が出だした。だから今は(ダム建設反対を)議案にいれよる。それまでは緊急動議でだしとった。

楠崎さんの漁師生活は七〇年近い。肱川水系のことならどんな研究者、専門家と話しても負けはしない。その根っこには川と共生し、そこから糧を得てきた人間の蓄積がある。研究者が、国交省の官僚が、数字だけで言うのではなく、肌から吸収したものにしか分からない凄みがある。
 
「官僚は川のことを何一つしらん」
ダムが出来たのは(昭和)34年、ダムが出来てから20年くらいはそんなに悪いとは思わなんだ。20年くらいたったら水質が悪うなった。青海苔のできが悪うなった。20年もたつとダムから悪いものが流れてくる。今、鹿野川の表面には魚はおるけど2メーター下がったらおらん。
 
(肱川漁協の)漁獲高2400トンのうち鮎がほとんど。でも売れん。上流でも鮎の性質が変った。コケを食べるのではなくユスリカの幼虫を食べるようになった。鮎の腹が赤い。ユスリカの幼虫のせいで肉質が変った。川にコケがはえとらん。ユスリカはどぶ川ならなんぼでも発生するけんのう。鮎はとってもすぐ腐る。一時間もたったらもう食べられん。すぐに氷を入れないと。

長年、肱川から生活の糧を得てきた楠崎さんは、その変貌を嘆く。豊穣な川が、どんどんとやせ細っていく。現在、楠崎さん自身、ウナギの養殖を主に経営している。川の恵みだけでは生活ができなくなった。

2008年10月14日火曜日

ロシナンテ社からのお願い

 ロシナンテ社は、この夏で38周年となりました。各地の平場からの発信のお手伝いを今日まで続けてこられたのも皆様方のお陰と思っております。感謝です。
 さて2006年春からロシナンテ社は、単行本の発行を始めました。
①さくらと空を翔け心を紡ぐ 西 定春著 千書房 定価2200円+税 
②低周波音症候群 汐見 文隆著 アットワークス 定価1000円+税
③見えてますか?農業と農村の将来 使い捨て時代を考える会編 アットワークス 定価1000円+税
④正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い ロシナンテ社編 アットワークス 定価1200円+税
⑤左脳受容説 低周波音被害の謎を追う 汐見 文隆著 アットワークス 定価1200円+税
⑥川辺の民主主義 大熊孝・姫野雅義他著  アットワークス 定価1500円+税

※①は利益がでていません。
 ②、⑤については汐見さんが、多くを引き取ってくださいましたので、十分、利益があがりました。
 ③は、使い捨て時代を考える会の販売と日本有機農業研究会などへの働きかけ、そして書店でそこそこ売れました。何とか利益が上がっています。
 ④に関しては、水谷洋一さんを撮った映画の上映会等で販売してきました。6冊の中では一番多く2000冊作りました。1年で約1100冊、売れました。ようやく利益が出てきました。
 ⑥については、発行後、6ヶ月経過しましたが、今のところ苦戦中です。経費分を稼ぐには、あと半年はかかると予想しています。こんな状況です。利益といっても1冊あたり20万円から40万円程度です(この場合の利益はおおよその粗利です)。正確な数字は現在、集計中ですが2年間で120万円は、作れたと思います。これではまだまだ厳しい状態です。しかもこのお金は、全てロシナンテ社の運転資金に回ります。「月刊むすぶ」自体は、印刷代等の経費は、毎号何とかクリアーしていますが、それ以上のお金はなかなか稼げません。その赤字を単行本やカンパ等でやり繰りしています。それ故、なんとか月1冊を発行すれば、もう少し余裕が出てくるのではと思っています。

 そこでお願いです。

ロシナンテ社というネットワーカーのための融資

お金は単行本の発行資金とさせていただきます。連続して本が出せるようになり、なんとか年収300万円程度でスタッフが二人、生活できる状態に持ち込むことを目標としています。
 2年間、据え置きという条件で融資をお願いいたします。
① 一口10万円から 2年据え置きです。
② 債務保証は、ロシナンテ社代表・四方哲です。
③ 利息はありません。ご融資していただいたお金を返し終えるまで「月刊むすぶ」をお送りさせていただきます。
④ 返済は、ご融資いただいた順に月5万円ずつ返済させていただきます。
⑤ 募集期間 2008年10月1日~2009年3月31日(返済開始は2011年4月から)
⑥ 入金先 郵便振替 01080-6-42151  三菱東京UFJ銀行出町支店 (普)4008047
※入金に際しては必ず融資と明記ください。
⑦ 連絡先 京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28 電話・FAX 075(533)7062
以上、余裕があれば是非、ご協力ください。よろしくお願いします。

ロシナンテ社 ただ一人の責任者 四方哲

2008年10月9日木曜日

徳本峠(とくごうとうげ)

 JR松本駅には松本電鉄が併設されています。この松電で新島々までいく。そこから25キロほど歩いて上高地に入るコースが、自動車道路が整備される前の入山コースです。
 このコースは、険しい登山道ではありません。新島々から山道までまず1時間ほどテクテク歩きます。とにかく歩く。山間から流れ下る小川沿いにある自動車道、といっても車一台通るのが精一杯な道です。そこを歩く。そのうち山の麓にたどりつきます。ここからが山道です。樹木がうっそうと生茂る山の中に入ります。沢もあります。そこの水は冷たくて美味しい。登ったり降りたりしながらとにかく前進。ボクは釣りをしないので分かりませんが、途中、岩魚小屋という小屋があります。炭焼きの跡もあります。その昔、この道が地元の人たちの生活道になっていたのだろうと思います。とにかくそんな森の中を歩くのです。鳥のさえずりや名前も分からないチョウがひらひらと舞っていたりします。最後の2時間ほどは、くねくねとかなりの高低差になりますが、とにかく登る。そんなコースです。
 繁みからゴソゴソと音が聞こえます。ひょいとカモシカが顔を出します。ニホンカモシカです。生きています。動いています。テレビや動物園のそれではありません。木々の上の方でキィ、キィと泣き声がします。ニホンザルです。十匹くらいですか。彼らも本物です。
 正直、たまに出かける人間にはかなりこたえます。上げる足が重くなります。汗も吹き出ます。それでもここまで来た以上、歩き続けるしかありません。普通、上高地から下山するのは楽なんですが、入る時に使うコースではないですね。マイナーなコースだからまず人には会いません。人気のある山には登山シーズン、アリの行列ができます。ここは決してそんなことはありません。とにかく歩き続けるのです。
 本格的な登山は、お金もかかるし、中々大変なのですが、そんなに装備も必要とせずに登れるのが嬉しい。とにかく5時間ほど山道を行くと徳本峠に到着します。その頃には、頭の中は空っぽですよ。峠のテッペンに足をのせた瞬間、穂高連峰が眼の前に広がります。これがまた嬉しくて何度もこの山登りをしてしまいます。5時間ほどの疲れが吹っ飛ぶというのはやっぱり爽快ですね。徳本峠には山小屋があります。缶ジュースくらいは売ってくれます。但し地上の倍の値段です。
 峠を越えると後はとにかく下り。かなり急な下りですが、特段な装備がいるわけではありません。足の関節が笑い出します。1時間ほど駆け下ります。すると明神へ出ます。ここまで来ると旅館やホテルがあります。人の匂いがします。さらに30分歩くと小梨平です。
 河童橋、大正池とそこは上高地の中心です。立派なホテルもあります。ここまでバスがあります。だから普通、7時間以上もかけて歩いて上高地に入る人はいません。穂高連峰や常念,槍なんかに登る場合でも普通、ここまでバスでやってきます。穂高縦走なんかだとライチョウやハイマツが見られ、眺望も素晴らしいパノラマです。
 徳本峠越は、自然とゆっくり過ごすには理想的な登山道です。
 上高地には銭湯もあります。疲れた体を休めるには最高です。(しかた)