2008年11月10日月曜日

「肱川」一部紹介②

大洲で国交省が来て委員会をひらいた。市長も市会議員も来よった。その時の議長が愛大の先生やった。ほんに立て板にみずのごとく話しなさる。
「あんたはそれで害がないと思ておいでるんやろ。そうすると私は組合長やから帰ってみんなに話しするのにこうこうこうやったと言うだけではあかん」
「まことにすまぬがあなたの名前で公文書で、『私が永久に保証します』と書いてくれ!」
そしたら黙っておいでるのよ。
「だまっとったら意見の交換にならんやろうが。ものゆわんかい!」
まぁしばらくシーンとしておったでよ。
それで終わって一番最初にきたのが市長のムカイさんやった。
「楠崎さんあがいなことゆうたら話が前にすすみませんで」
「ほいなら、市長と市会議員は一人ひとり、保証するという公文書をだしてくださいよ」
「そがなことはおいきらん」
「それならやめるといいなはれや」


楠崎さんは、30年近く肱川流域の水質測定を続けてきた。その蓄積は、体に貯め込んだ肱川の変化だけではなく、数値という説得力をもつ発言となる。その数字はウソをつかない。

いいかげんなことでボクはものいいよらんで。基礎知識をもっていいよるんやから。ダムの水質の協議会では、基礎資料にもとずいて私の知っておることをお尋ねしますので所長さん!はっきりと答えてくださいよ。
ダムというのは、今まで作ってええというのはなかった
そうでしょうが。黒部渓谷でもあないゆうてつくらなさったが、住民が反対、漁民が反対、がいな被害がでたいな。
国が何百億の補償をしなはったかしらんが、それと同じになるんよ。じゃけんダムじゃとゆうのは最後の手段。
この話しが始まって、パンフレットを出しなさって、国土交通省は、30年代の水に戻すと声明しとなさる。30年代の水に戻りましたと納得できなんだら、私たちは同意しません。それが出来ないなら漁協はダムには反対します。
いかなる手段をつこうても反対しますよ。
 
 
国交省の職員は、ある年限で移動していく。あるものは、楠崎さんの養殖場を訪ね、話しこんでいく。川を分かろうとする人もいることはいる。しかし、転勤で住民と国交省の間はつながない。
 
 
田舎にきたらここの住人になりなはらんと。10年はおって毎日、川の観察をしなさい。私もやりよるんやからあんたもやれんことはない
「それはあんた私は 移動せないかん」
移動せんといいなはれ。しばらく肱川で生活をして観察をするといいなはれ
「いや私は官僚だ」
アータ、官僚官僚と偉そうなことゆうてもわかったことは何一つない。あんたら机の上で書いた数字をまともに思うて。全部違うじゃないか。あれはやったら被害はでるとみんなゆうのに。それでもやったらすぐ出たやないか
ボクは厳しいことゆうから大洲の警察の刑事が
「あんた殺されるぜ」とゆうた。
おれなんか殺したってなんちゃならんゆうんや。それで殺されたったらしかたない。それでも後継者はできるもんよ。心配せいでも。

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