2008年12月26日金曜日

2008年が終わります。

今年も「月刊むすぶ」、お力添えありがとうございます。
 
1970年からロシナンテ社がこつこつとつないできたネットはまだまだ健在です。もちろん、不十分な点もたくさんあります。それでもインターネットにはない良さを持ちつつ生き抜いています。まだまだ前進です。

①「月刊むすぶ」の定期購読の輪にご参加ください。
年間購読代は8400円。19年間据え置きです。
入金先 郵便振替 4008047
    三菱東京UFJ銀行出町支店(普)4008047
    名義 ロシナンテ社
②使い損じの葉書などありましたら是非、お分けください。
③こんな発信をしたい。是非、お声かけください。スペースをとります。

 新聞やテレビを見ていると不況!不況!と騒いでいます。派遣労働の人たちがドンドン首切りです。しかしこれまで大もうけしてきたはずの大企業がその内部留保のお金を労働者に回すという話はトンと報道していません。企業防衛が第一なのでしょうか?マスコミもやれハローワークに麻生さんが出かけたと映像を垂れ流しています。何かおかしいぞ!
 なんでもいいです。是非、皆さんのご意見、お寄せください。よろしくお願いします。

連絡先 〒605-0974
     京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28
     電話・FAX 075(533)7062
     E-mail musub@big.or.jp
             ロシナンテ社・四方哲


2009年が皆様にとってよい年でありますように。

2008年12月24日水曜日

あとがき

 今年は平成二〇年だ・・。日頃西暦中心の生活をしているのでもう一つピンとこない。
クリスチャンではないが2008年の方が便利だ
▼ロシナンテ社、何とか2008年(平成二〇年)をやり過ごした。生き抜いたゾ!ロシナンテ社は三十九年目だゾ。ただただ合掌
▼最近ひざが痛む。いよいよ歳か。さみしい。先月、知り合いの店で久しぶりに奮発して登山靴を買ったばかりなのに・・・・
▼比良山に登るぞ。上手くすれば日本海が見えるはずだ。高校の地学実習で登って以来だ。山登りはいい
▼最近読んだ漫画は北アルプスの山岳救助がテーマだった。救助者が重傷の遭難者を担いで岩肌を登る。担ぎあげても彼の息は既に絶えている。その遺体に主人公は「ご苦労さん」と微笑む
▼体育は嫌いだった。でも長距離だけは嫌いじゃなかった。紫野高校のグランドから鷹ヶ峰を光悦寺、然林房と走るコースが冬の定番だった。雪の降る中、鷹ヶ峰を走った。まとわりつく雪。吐くと白くなる息づかい。あれはサイコーだった。どうなるか分からないが、来年もとにかく前進しようと思う。 (四方)

2008年12月10日水曜日

ロシナンテ日記

 2008年も残りわずかになりました。
 今年1年、お付き合いいただき感謝です。
ようやく冬の寒さがやってきました。ロシナンテ社、39回目の越冬です。
 さて愛媛県・肱川の清流を取り戻す取り組みを「肱川〜清流の復活を求めて〜」と単行本発行を予定していましたが、編者の都合で延期となりました。あらためてご案内させていただきます。
 その肱川が流れる大洲市へ出かけた際、川漁師の楠崎さんは、「鵜飼を観に来た観光客が、川が臭いと嫌がる」と話してくれました。それだけダムの環境に及ぼす影響は大きいのでしょうね。先日も京都大学で「川の全国シンポジウム」が開催され大勢の人が集まっていました。元国交省の河川事務所長の宮本さんや大熊孝さんなどが発言していました。
 単行本「川辺の民主主義」を販売していて分かってきたのは、ダム問題が社会全体の課題としてまだまだ身近なものではない。徳島市の吉野川可動堰問題では、住民自治・参加まで引き寄せて訴えたことが住民投票を実現させ、徳島市を輝かせたと思います。しかし現状は、一部マスコミや政治家のパフォーマンスの場にダム問題が使われているようにも、私には見えます。例えば、横須賀のアメリカ原子力空母母港化に県知事が反対するとは思えない。橋下大阪府知事なら万歳三唱して空母を受け入れるんじゃなかろうか。ダム問題はそれだけ情報流通産業のマスコミも報道しやすいのではなかろうか。
 大切なのは、徳島の住民投票という民主主義の成果をドンドン活用することではないかと思います。暴漢に襲われ重傷を負わされても産廃処分場を拒否した前・御嵩町長・柳川さんが「情報公開制度を整備したが、町民はほとんど使わない」とこぼしていました。折角、手にした道具は使わないと錆付いちゃう。
 川のシンポで司会を担当していたM市会議員(決して京都市の議員さんではありません)は、平和問題、人権問題もなんでも取り組んでいる。エライ人だと尊敬します。そのスタンスが素敵だ。同様に北摂でダム問題に取り組む高校教師・Eさん。彼も幅広く活動している。大病をしたという。無理せずボチボチと頑張ってください。
 もう一月で今年も終わり。ロシナンテ社、まだまだ前進です。今後ともよろしくお付き合いくださいませ。

2008年11月18日火曜日

おことわり

今月末発行予定でした「肱川」は、編者の都合で来年春の発行となりました。
大幅な予定の変更、お許しください。

さて肱川漁協の楠崎さんのお話を最後まで読みたいかたは、是非、本が出来上がったら買ってください。よろしくお願いします。



京都の街は晩秋から冬に向かっています。紅葉の綺麗な頃になりました。是非、お出かけください。

2008年11月10日月曜日

「肱川」一部紹介②

大洲で国交省が来て委員会をひらいた。市長も市会議員も来よった。その時の議長が愛大の先生やった。ほんに立て板にみずのごとく話しなさる。
「あんたはそれで害がないと思ておいでるんやろ。そうすると私は組合長やから帰ってみんなに話しするのにこうこうこうやったと言うだけではあかん」
「まことにすまぬがあなたの名前で公文書で、『私が永久に保証します』と書いてくれ!」
そしたら黙っておいでるのよ。
「だまっとったら意見の交換にならんやろうが。ものゆわんかい!」
まぁしばらくシーンとしておったでよ。
それで終わって一番最初にきたのが市長のムカイさんやった。
「楠崎さんあがいなことゆうたら話が前にすすみませんで」
「ほいなら、市長と市会議員は一人ひとり、保証するという公文書をだしてくださいよ」
「そがなことはおいきらん」
「それならやめるといいなはれや」


楠崎さんは、30年近く肱川流域の水質測定を続けてきた。その蓄積は、体に貯め込んだ肱川の変化だけではなく、数値という説得力をもつ発言となる。その数字はウソをつかない。

いいかげんなことでボクはものいいよらんで。基礎知識をもっていいよるんやから。ダムの水質の協議会では、基礎資料にもとずいて私の知っておることをお尋ねしますので所長さん!はっきりと答えてくださいよ。
ダムというのは、今まで作ってええというのはなかった
そうでしょうが。黒部渓谷でもあないゆうてつくらなさったが、住民が反対、漁民が反対、がいな被害がでたいな。
国が何百億の補償をしなはったかしらんが、それと同じになるんよ。じゃけんダムじゃとゆうのは最後の手段。
この話しが始まって、パンフレットを出しなさって、国土交通省は、30年代の水に戻すと声明しとなさる。30年代の水に戻りましたと納得できなんだら、私たちは同意しません。それが出来ないなら漁協はダムには反対します。
いかなる手段をつこうても反対しますよ。
 
 
国交省の職員は、ある年限で移動していく。あるものは、楠崎さんの養殖場を訪ね、話しこんでいく。川を分かろうとする人もいることはいる。しかし、転勤で住民と国交省の間はつながない。
 
 
田舎にきたらここの住人になりなはらんと。10年はおって毎日、川の観察をしなさい。私もやりよるんやからあんたもやれんことはない
「それはあんた私は 移動せないかん」
移動せんといいなはれ。しばらく肱川で生活をして観察をするといいなはれ
「いや私は官僚だ」
アータ、官僚官僚と偉そうなことゆうてもわかったことは何一つない。あんたら机の上で書いた数字をまともに思うて。全部違うじゃないか。あれはやったら被害はでるとみんなゆうのに。それでもやったらすぐ出たやないか
ボクは厳しいことゆうから大洲の警察の刑事が
「あんた殺されるぜ」とゆうた。
おれなんか殺したってなんちゃならんゆうんや。それで殺されたったらしかたない。それでも後継者はできるもんよ。心配せいでも。

2008年11月5日水曜日

「肱川」一部紹介①

「肱川」を本にします。
そのうちに一部を紹介します。

まず昭和三〇年代の肱川に戻してくれ

楠崎 隆教
肱川漁業共同組合 代表理事


川漁師・楠崎隆教

昭和16年から漁師やったんやかろのう。そのころは河辺川には尺鮎がおった。ボクは他の人の倍はとりよった。何とるんでも大掛かりなことをやりよった。カニをとるんでも一人が(仕掛けを)3張りくらいしかやりよらなんだのをボクは35張りはりよったんやから。水に張ると一睡もできへん。
昭和25年頃よ。あのころはマツダの軽三輪のトラックやったけどな一晩でヤマほど積んで帰ったことあるよ。

鮎が売れんようになったのは二〇年まえになるぜ。その頃から魚はおるのに漁師は減ってしもうたんよ。ダムが出来て水質が悪くなって魚の質が落ちた。というんやけどあの人ら(国交省の役人)は納得せんのよ。
「根拠がない」とゆうてがらな。それはそこの住民が実感して体験しとることやから。それをわかろうせん。

今は専業者はおれへん。兼業だけや。この八多喜地区だけでも7人、8人おった。漁だけで生活ができよった。
肱川全体で100人からおった。野村にもおったから全体では200人はおったでしょうな。取れたら旅館でなんぼでもこうてくれたんやから。今はそこの観光協会も肱川の鯉ひとつつ買わへんのやから。それは臭うて買わんと思うよ。

組合でも改善する対策をたてようというけどあれだけのダムが出来て水質が悪化すると無理よ。肱川くらいの組合がやることはわかっとる。それは国にこうせんとダムをやらさんとゆうのがおららの義務よ。それに賛成してくれる子が出だした。だから今は(ダム建設反対を)議案にいれよる。それまでは緊急動議でだしとった。

楠崎さんの漁師生活は七〇年近い。肱川水系のことならどんな研究者、専門家と話しても負けはしない。その根っこには川と共生し、そこから糧を得てきた人間の蓄積がある。研究者が、国交省の官僚が、数字だけで言うのではなく、肌から吸収したものにしか分からない凄みがある。
 
「官僚は川のことを何一つしらん」
ダムが出来たのは(昭和)34年、ダムが出来てから20年くらいはそんなに悪いとは思わなんだ。20年くらいたったら水質が悪うなった。青海苔のできが悪うなった。20年もたつとダムから悪いものが流れてくる。今、鹿野川の表面には魚はおるけど2メーター下がったらおらん。
 
(肱川漁協の)漁獲高2400トンのうち鮎がほとんど。でも売れん。上流でも鮎の性質が変った。コケを食べるのではなくユスリカの幼虫を食べるようになった。鮎の腹が赤い。ユスリカの幼虫のせいで肉質が変った。川にコケがはえとらん。ユスリカはどぶ川ならなんぼでも発生するけんのう。鮎はとってもすぐ腐る。一時間もたったらもう食べられん。すぐに氷を入れないと。

長年、肱川から生活の糧を得てきた楠崎さんは、その変貌を嘆く。豊穣な川が、どんどんとやせ細っていく。現在、楠崎さん自身、ウナギの養殖を主に経営している。川の恵みだけでは生活ができなくなった。

2008年10月14日火曜日

ロシナンテ社からのお願い

 ロシナンテ社は、この夏で38周年となりました。各地の平場からの発信のお手伝いを今日まで続けてこられたのも皆様方のお陰と思っております。感謝です。
 さて2006年春からロシナンテ社は、単行本の発行を始めました。
①さくらと空を翔け心を紡ぐ 西 定春著 千書房 定価2200円+税 
②低周波音症候群 汐見 文隆著 アットワークス 定価1000円+税
③見えてますか?農業と農村の将来 使い捨て時代を考える会編 アットワークス 定価1000円+税
④正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い ロシナンテ社編 アットワークス 定価1200円+税
⑤左脳受容説 低周波音被害の謎を追う 汐見 文隆著 アットワークス 定価1200円+税
⑥川辺の民主主義 大熊孝・姫野雅義他著  アットワークス 定価1500円+税

※①は利益がでていません。
 ②、⑤については汐見さんが、多くを引き取ってくださいましたので、十分、利益があがりました。
 ③は、使い捨て時代を考える会の販売と日本有機農業研究会などへの働きかけ、そして書店でそこそこ売れました。何とか利益が上がっています。
 ④に関しては、水谷洋一さんを撮った映画の上映会等で販売してきました。6冊の中では一番多く2000冊作りました。1年で約1100冊、売れました。ようやく利益が出てきました。
 ⑥については、発行後、6ヶ月経過しましたが、今のところ苦戦中です。経費分を稼ぐには、あと半年はかかると予想しています。こんな状況です。利益といっても1冊あたり20万円から40万円程度です(この場合の利益はおおよその粗利です)。正確な数字は現在、集計中ですが2年間で120万円は、作れたと思います。これではまだまだ厳しい状態です。しかもこのお金は、全てロシナンテ社の運転資金に回ります。「月刊むすぶ」自体は、印刷代等の経費は、毎号何とかクリアーしていますが、それ以上のお金はなかなか稼げません。その赤字を単行本やカンパ等でやり繰りしています。それ故、なんとか月1冊を発行すれば、もう少し余裕が出てくるのではと思っています。

 そこでお願いです。

ロシナンテ社というネットワーカーのための融資

お金は単行本の発行資金とさせていただきます。連続して本が出せるようになり、なんとか年収300万円程度でスタッフが二人、生活できる状態に持ち込むことを目標としています。
 2年間、据え置きという条件で融資をお願いいたします。
① 一口10万円から 2年据え置きです。
② 債務保証は、ロシナンテ社代表・四方哲です。
③ 利息はありません。ご融資していただいたお金を返し終えるまで「月刊むすぶ」をお送りさせていただきます。
④ 返済は、ご融資いただいた順に月5万円ずつ返済させていただきます。
⑤ 募集期間 2008年10月1日~2009年3月31日(返済開始は2011年4月から)
⑥ 入金先 郵便振替 01080-6-42151  三菱東京UFJ銀行出町支店 (普)4008047
※入金に際しては必ず融資と明記ください。
⑦ 連絡先 京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28 電話・FAX 075(533)7062
以上、余裕があれば是非、ご協力ください。よろしくお願いします。

ロシナンテ社 ただ一人の責任者 四方哲

2008年10月9日木曜日

徳本峠(とくごうとうげ)

 JR松本駅には松本電鉄が併設されています。この松電で新島々までいく。そこから25キロほど歩いて上高地に入るコースが、自動車道路が整備される前の入山コースです。
 このコースは、険しい登山道ではありません。新島々から山道までまず1時間ほどテクテク歩きます。とにかく歩く。山間から流れ下る小川沿いにある自動車道、といっても車一台通るのが精一杯な道です。そこを歩く。そのうち山の麓にたどりつきます。ここからが山道です。樹木がうっそうと生茂る山の中に入ります。沢もあります。そこの水は冷たくて美味しい。登ったり降りたりしながらとにかく前進。ボクは釣りをしないので分かりませんが、途中、岩魚小屋という小屋があります。炭焼きの跡もあります。その昔、この道が地元の人たちの生活道になっていたのだろうと思います。とにかくそんな森の中を歩くのです。鳥のさえずりや名前も分からないチョウがひらひらと舞っていたりします。最後の2時間ほどは、くねくねとかなりの高低差になりますが、とにかく登る。そんなコースです。
 繁みからゴソゴソと音が聞こえます。ひょいとカモシカが顔を出します。ニホンカモシカです。生きています。動いています。テレビや動物園のそれではありません。木々の上の方でキィ、キィと泣き声がします。ニホンザルです。十匹くらいですか。彼らも本物です。
 正直、たまに出かける人間にはかなりこたえます。上げる足が重くなります。汗も吹き出ます。それでもここまで来た以上、歩き続けるしかありません。普通、上高地から下山するのは楽なんですが、入る時に使うコースではないですね。マイナーなコースだからまず人には会いません。人気のある山には登山シーズン、アリの行列ができます。ここは決してそんなことはありません。とにかく歩き続けるのです。
 本格的な登山は、お金もかかるし、中々大変なのですが、そんなに装備も必要とせずに登れるのが嬉しい。とにかく5時間ほど山道を行くと徳本峠に到着します。その頃には、頭の中は空っぽですよ。峠のテッペンに足をのせた瞬間、穂高連峰が眼の前に広がります。これがまた嬉しくて何度もこの山登りをしてしまいます。5時間ほどの疲れが吹っ飛ぶというのはやっぱり爽快ですね。徳本峠には山小屋があります。缶ジュースくらいは売ってくれます。但し地上の倍の値段です。
 峠を越えると後はとにかく下り。かなり急な下りですが、特段な装備がいるわけではありません。足の関節が笑い出します。1時間ほど駆け下ります。すると明神へ出ます。ここまで来ると旅館やホテルがあります。人の匂いがします。さらに30分歩くと小梨平です。
 河童橋、大正池とそこは上高地の中心です。立派なホテルもあります。ここまでバスがあります。だから普通、7時間以上もかけて歩いて上高地に入る人はいません。穂高連峰や常念,槍なんかに登る場合でも普通、ここまでバスでやってきます。穂高縦走なんかだとライチョウやハイマツが見られ、眺望も素晴らしいパノラマです。
 徳本峠越は、自然とゆっくり過ごすには理想的な登山道です。
 上高地には銭湯もあります。疲れた体を休めるには最高です。(しかた)

2008年9月12日金曜日

逢魔が時

JR兵庫駅から和田岬線は出ている。一駅区間だけ。終点には、三菱の工場と工業高校がある。
朝と夕方の時間帯を中心に走行している。その距離、約3キロ。4分程度の乗車時間。
9月10日。青春18キップの最後の1枚を使って集金の最後、時刻は夕方6時過ぎ。
5両編成。10人くらいの乗客。通勤通学客とは反対方向だから乗客が少ないのだろう。和田岬の駅舎はホームだけ。券売器も何もない。だからといって殺風景なわけではない。
逢魔が時。夏の終わりに夕日の中に商店街があった。布団屋、総菜屋、定食屋ちいさなよろずや。時間が止まっていた。ボクが生まれ育った田舎のそれとは明らかに違うのだが、懐かしさとものがなしさが体を包む。
小さな中華店に入る。阪神―ヤクルトがテレビの中で闘っている。
「いらっしゃいませ」
おばさんが水が入ったグラスを目の前に置く。
「スタミナ定食」
女の子と男の子、そして両親。賑やかに食べている。お父さんはビール。

この仕事を始めて、24年がたった。今や専従はボク一人。何とか食っている。いろんな人に助けられながらなんとか生き抜いた。あと10ケ月で50歳になる。
最近、時間が惜しい。そう感じる。なにが出来るのだろう。何かを残せるとは思わない。人様の役にたったのだろうか。地震がない。とにかく自分らしく生きてきたのかもしれない。

逢魔が時。時間に溶け込んで静かに呼吸をしている。とにかく生きている。それでよしとしよう。

2008年9月4日木曜日

上関原発は必要ありません!

公有水面埋立免許願書の
許可をしないよう求める署名にご協力ください。



画像形式は、pdfになっておりますので、
Adobe Readerを使用して開いて、
プリンターにて印刷してご使用下さい。

 ← 「Adobe Reader」入手先

2008年8月27日水曜日

今、立ち止まって死刑制度を考えてみませんか。

 死刑判決が増えています。前の法務大臣・鳩山さんは2ヶ月おきに執行の署名を続けました。そして光市母子殺人事件の被害者遺族・本村さんは、テレビカメラの正面を向いてその考えを発言しています。これで加害者の弁護団は世間を敵に回しました。今、日本市民の8割が死刑制度の存置を支持しています。気分は集団リンチ?
 テレビという媒体の責任は大きいと思う。私たちは考える暇を与えることなく「死刑!」という感情を刷り込まれてしまいました。
 本村さんを始めとする被害者遺族の感情は大切。しかしその彼と同じ世間に暮らす僕らは彼とは違う存在です。
 今、立ち止まって死刑制度について考えてみませんか。
 「月刊むすぶ」の8月末号では死刑制度について考えてみました。

 手書きでお手紙を出したら、亀井静香さんと左藤恵さんからも原稿を頂戴できました。まさかと思っております。市井からは赤瀬川勝彦さん、坂口誠也さん、猪島克さん、橘智子さん、菅沢邦明さん、佐無田義己さん、斎藤綾子さん。そして死刑判決を受けて公判中の林真須美さんからもお声を寄せていただきました。
 誌上でのお礼、失礼の段、お許し下さいませ。ありがとうございました。
 ロシナンテ社はちっぽけな存在です。現状ではこの号を十分に拡げる回路がありません。10冊以上まとめてご注文いただいたら、1冊840円を600円にさせていただきます。身近な方々にお勧めいただければ嬉しいです。
 お力をお貸し下さい。こころよりお願いします。
〒605-0974 京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28
         ロシナンテ社 四方哲
 電話・FAX 075-533-7062
 E-mail musub@big.or.jp

 暑い日は炊き立てのご飯を水にさらして食べるといい。それによく冷やした水をかけて食べるのもいい。
 スイカをお腹一杯食べる。最高の時だ。食べ残したかわの表を包丁でそぎ落とし、塩で一晩漬けておく。これが美味しい。
 夏、食欲がなくなることは今のところない。
  
 8月の「月刊むすぶ」では、死刑について取り組んでみました。日本社会の8割が死刑制度の存置を望んでいると言われています。私は「ホントかしら?」と感じています。ましてや裁判員制度が始まると自分自身が、被告の生死を決定することになる。私たちにそんな大変な責任を負う器量があるだろうか?
 責任を負いたくないのが人間の常。そういう点では、800人近い国会議員の人たちはもの凄く勇気のある人たちだなぁと感心してしまう。学級委員になるわけじゃないんだから。まず司法や取調べの情報公開が不十分なままで大丈夫なのか。そんな危惧を抱いてしまう。それに最近、やたらと死刑判決が続いている。その上、鳩山さんは2ヶ月おきに死刑を執行した。国家が人の命を断てるのだろうか。被害者、その遺族の感情はどうなるのだ!という声が強くなってきているのは、確かに事実。
 
 知り合いの精神病者の人が言っていた。
「凶悪事件が起こって、精神鑑定の話が出る度に外へ出られなくなる」
「今の社会は、僕ら精神障害者と共生する気はないと思う。僕らは排除・監視・管理の対象。だから悪いことをしたら死刑!という論理も当然受け入れられている」

 もし仮に秋葉原事件の加害者が、いや宅間守氏でもいい。彼らが精神鑑定で無罪となり、シャバに戻ってきたとする。
 私たちは彼らを受け入れることができるのだろうか?今の司法制度上、無罪になる可能性としては、精神障害であったというのが一番、唯一の可能性。
 
 この点も私たちは考えなくてはと思う。

 巨悪事件犯罪者だから死刑としてこの世からその存在を抹殺する。国家があだ討ちを代行できるのだろうか。それでよいのだろうか。死刑制度廃止。私もそうあるべきだと思います。
 しかし、その「凶悪な人間」の存在を終身刑という形をとるにしても、その人の命という存在を私たちの社会が抱え込むことになる。そして被害者・遺族の感情も受け止められるのか。
 今回は、こんな問題を考えてみました。

2008年8月6日水曜日

暑中お見舞い申し上げます。

暑いです。仕事場、朝6時。31℃。2階33℃。ホホがぽっと熱い。ロシナンテ社で働く人はボク一人。その特権。ハダカでキーボードを打つ。

日本の社会は、私たちは、現行の死刑制度を受け入れています。そして犯罪被害者、その家族の悲しみ、無念さも私たちの社会が背負うべきものだと思います。その場合、遺族に代わって仇を討つように国家が死刑を執行できるのか?この国家にそんな権利を付与していいのか?そんな疑問を少なくとも私は持ちます。
「死刑」。私たちの日常からは、遠い課題でした。
ところが来年から裁判員制度が始まります。この制度には、日弁連を始めいろんなところかから疑問、反対の意見がでています。他者の命を絶つ。そんな権利が私たちにあるのか。今一度、考えてみませんか。
 今、「死刑」について「月刊むすぶ」誌上で企画を進めています。8月末号の予定です。
 ロシナンテ社からの発信ですから、ささやかなものです。そんな発信のお手伝いを是非、お願いします。そう簡単には売れないと思います。お力をお貸しください。
 
① お知り合いにすすめて下さい。1冊800円(予定)です。1000円札でお釣りがでます。
② チラシを撒いてください。ご連絡いただければ送ります。
③ 集会なんかで委託販売をお願いします。
連絡先 〒605‐0974
京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28
    電話・FAX 075-533-7062
    携帯電話 090-5642-2308
E-mail musub@big.or.jp 

2008年7月31日木曜日

問わず語り③ その3

主人公は私
 
多分、市民運動や住民運動などの社会活動も消費される情報の上に成り立っているのだろう。そして間違いなく人々は偶像を求めている。
 中村敦夫さんはその辺りがよく分かっていたのだろう。上手に国会議員になった。そして実に的確な方向性を示して政治の表舞台から去っていった。
彼の議員活動を保証できなかったのが、私たちの執念のなさ。そして紋次郎の代わりのアイドルが川田龍平さん。
 川田さんは伝え聞く限り誠実な方だと想像できる。しかし議員になったことで彼は間違いなく消費される側になった。
 市民が自分たちの偶像を求めている間にドンドンと市民自身が追い詰められてきたとのではなかろうか。
 悲しいことに絶えず消費できる偶像を求めていろんな社会運動を続けてきたツケが今きたのではなかろうか。主人公は私たち自身なはずです。憲法には主権者は国民と書いてあります。
 これはこれで問題があるのだが…
何十年と日本で暮らしても税金だけとられて投票すらできない存在が何十万人といる。権力者は帰化しろという。(帰化する前に気化しちゃいそう?)
とにかく主権者は私たち。
 誰かに代弁を求めてはだめ!
 まず選挙権があればまず投票。そしてつまらなくても国会中継くらいは、たまに見よう。変に加工されたニュースワイドショーばかり見ていたら馬鹿になる。そしてせめて朝日、読売新聞くらいは読もう。
 
今日の日付は7月23日。ただ今午後3時半。室温34度。暑い。クーラーはない。だからだろうか、今回は少々?結構、失礼な言い方に終始したかもしれません。脳みそがウニになっている。ご勘弁ください。ロシナンテ社厳しいことには変わりないもので…。くどい!

この暑さの中、仕事場にいるときはほとんどハダカですごす。それでも暑い。扇風機は2800円で買った安物。生ぬるい風が押し寄せる。ぐるんぐるんと一生懸命に回ってくれる。感謝感謝。昨年、移転したときに据え付けた水しかでないシャワーを1時間ごとに浴びる。実に気持ちがいい。さっぱりする。午後1時から1時間ほど昼寝をする。とにかくもうひとつのネットワーカーとして生き抜いてやる。なんと言われようが構わない。去り行く人は追ってもしかたがない、しかしギリギリまでお付き合いしていただく。ボクはここでご飯を食べたいから。動き回ればそれなりに新しい人がつながってくる。とことんロシナンテ社として前進するさ。ロシナンテ社は38年周年となった。         (つづく)

2008年7月28日月曜日

問わず語り③ その2

集金は切ないもの

「月刊むすぶ」の購読代は8400円。月700円である。もう十九年間値上げせずにきた。この8400円をボクは集金して回る。まあ本人が来て「是非、ご継続をお願いします」と来るわけだからそれなりの小さなドラマがある。
 市民運動の業界では中々の有名人のお連れ合いが購読してくれていた。その仕事場に冬の寒い時期、集金に伺った。
 前回は頂戴できた。ところがこのときは失敗した。どうも若い子を働き手としてつなげずにいるロシナンテ社に不満があるようだ。しかし給料も満足に払えないのに人を雇用するのはそれは犯罪ですよ。とボクの言い分。
まあ前回の集金の際、彼女の姑さんの話まで持ち出してお願いしたわけだから今回は厳しいなぁとは思っていた。
 こういう場合は、素直に「ありがとうございました」と頭をさげて早々に引き上げる。ところがこのとき、彼女はボクが去るよりもすばやく事務所の奥に引き上げた。 
 お金を頂戴するというのは、本当にむずかしい。いろんな人に嫌われる。
しかしこれくらい泥臭くやらないとロシナンテ社はご飯が食べられない。
 誰もが黙っていても買ってくれる雑誌にすればいいじゃないかとご批判もあるかと思います。じゃ聞きたい岩波の「世界」はどれくらい売れているか知っていますか?「週刊金曜日」の実売数はわかりますか?
 多分、驚くほどの部数しかうれていません。大きな書店で「世界」や「週刊金曜日」の売れ具合を確認してみてください。
 開き直るつもりはないが、イエイエ、開き直ります。今回は開き直ります。失礼な物言いだとは重々承知の上で言わせてください。それほど厳しい状況に私たちは置かれています。
 本当にこの日本社会の対抗文化を支える気があるなら「世界」「週刊金曜日」そして「月刊むすぶ」くらい購読してください。本当にお願いします。
 半分泣き落とし。焼きが回ったか。
 食べ物の美味しさは、かなり共通したものがあります。しかし本はそういうわけにはいかない。いろんな考えが皆さんにある。それをネットワークするのがロシナンテ社だと思っている。
しかし厳しい。難しい。

2008年7月24日木曜日

問わず語り③ その1

集会での販売は気合です。
「とにかく買え!この野郎!」くらいの怨念?情念?をお腹に溜め込んでバーッとやらないと売れない。
特に「月刊むすぶ」なんてのは地味な雑誌なわけだから…
 十年以上前、駿河台の明治大学で入管の集会をやっていたことがある。絶滅危惧種のようなヘルメット姿の人たちが存在する。そんな空間である。
 とにかく京都から夜行バスで登場である。
何だかんだで場所確保。
 午前中からのスタート、
狙い目は開場30分と昼休み。そして午後の中休み。終了時は意外にうれないものだ。
 体中からオーラ湧きでる。ということだが、かなりの小心者。そんなに大きな声は出せない。というよりでない。それでもチラシを撒きながら参加者の足を止める。足が止まったら、まず相手の目をみる。いや睨みつける。できるだけ優しく?そしてたどたどしく雑誌の説明を始める。
「1970年創刊です。各地の草の根の住民運動、市民運動の現場の声を集めてきました。書き手は日常の中で現実に関わっている人にお願いしています。決してジャーナリストや評論家にかいてもろうわけではありません」
その間、右手で「月刊むすぶ」のページをめくっていく。左手はチラシを撒いている。
その間、相手の目を見続ける。
「1冊800円!」
こんな感じでとにかく売り飛ばす。
じっとしていても売れるわけではない。
少なくともこれでご飯を食べているんだ!このときは160冊売った。

そのうち「月刊むすぶ」だけを机に並べて売ることの限界を感じるようになった。そこで他社の単行本を売ることにさせていただくことになる。少なくとも他社の本は、装丁からしてちゃんとしている。キレイだ。いろんなことを学んだ。そして他社、つまり普通の出版社の仕事ぶりを勉強するよい機会になった。
今、アットワークスと組んでとにかく5冊、単行本を出した。この経験が少しは生きていると思う。しかし儲からない。中々人並みのなれない。

僕らが取り組む企画は社会問題がそのテーマの場合がほとんど。社会問題は売れないというのが当たり前になってしまった。それを売るのがこちらの仕事。

「ここに並んでいる本は売れません!街の本屋ではめったに売っていません。」
「月刊むすぶ、これを置いてくれる本屋なんかありません。今日、買わなかったらもう2度と手にすることはありませんよ」

並べ方にも工夫はある。まず売れそうなものを平積みにする。それの部数がある場合は、机のセンター、左右の端に積む。それだけ視覚的に目立つ。一日の販売の最初と終わりではかなり並べ方が変わってきている。集会売りは進化するのである。

2008年7月9日水曜日

もうすぐ夏本番です

もうすぐ夏本番です。ロシナンテ社はこの夏で38才です。まだまだ前進します。今後ともよろしくご支援、ご声援をお願いします。

死刑について考えてみませんか?
 死刑判決が増えています。そしてどんどん執行されています。宮崎勤死刑囚が執行されました。
その少し前、秋葉原で不条理な殺人事件が発生しました。これは見せしめか?鳩山という法務大臣は…、あぶない?「死刑執行をベルトコンベヤーのように」と言ってみたり、「友達の友達がアルカイダ」。そして来年から裁判員制度が始まる。
 大阪・池田小の事件のあと知り合いの精神病者がいっていた。「もし仮に彼が無罪になり、シャバに出てきたら一緒には生活をしたくない。自信がない」と。
 人を人が裁くことをもう一度、考えてみませんか。
 国家が人を殺せるのか。
少なくとも死刑制度を存続させている先進国は少数派です。しかし、私たちの暮らす日本という社会は、今のところ、各種の世論調査では8割以上が死刑の存続を支持しています。いろんな考え方があると思います。そこでロシナンテ社のネットワークを使っていろんな声を集めてみようと思います。
 そしてその声をまず『月刊むすぶ』に掲載します。
 声がたくさん集まったら単行本にしてみんなで広めていきたいなと考えています。ささやかな問題提起ではありますが、是非、アナタの思いを発信してみませんか!平場からの発信に参加してください。
 
原稿の要領は以下のとおりです。
 テーマ 死刑について
 字数  3000~4000字程度
 締切  7月31日
 送付先 E-mail musub@big.or.jp
〒605‐0974
     京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28
     電話・FAX 075-533-7062
 ※できたら実名でお願いします。

2008年6月30日月曜日

問わず語り② その2

 これまでこの問題をテーマにしたネットワークはあるようでなかった。その中で都市の再開発が、急速に進む福岡市の住民が五十嵐さんを講演に呼び、叱咤激励される。とにかく負け続けるマンション紛争。これでたまらん!なんとかせねばと全国ネットワークを呼び掛けたようだ。誰かが旗を掲げれば人は集まる。そういうものなのだろう。
 実質的な事務局を東京の弁護士さんたちが担っている。弁護士という仕事は、社会的な課題に取り組む際、かなり有効なポジションだと思う。その点、研究者、大学の教師というのは、自然科学系はそれなりにポジションが分かるのだが、社会科学系の研究者というのはこれはどうもと言う人が多いように感じる。生活と発言の間に距離があり、どうしてもリアリティがない。
そしてその専門性が、市民との間に境がなくなってきている。 
 この集会では、マンション建設反対の幟の立て方から、資材を運ぶトラックがやってきたらどこまで実力行動を取っていいのかとか、これが平和な住民か!という質問や意見が飛び交っていた。
 福岡の市民団体の方が、「地域で住民運動を続ける際、どうしても活動する人に偏りがでる。その辺りをどう調整しながら根気強く運動を続けるか。福岡では裁判所へ建設差止めを求めてもことごとく負ける。
そして建設が始まると運動自体が下火になる。それでも続けることで次の建設を止めることになる」という発言したのは印象に残っている。
 住民は、市民は、自分たちの生活の場を大切にしたい。街づくりなどの課題には、直接参加して意見を言いたい。そんな欲求が当然のようにある。ダム問題をはじめ、各地での公共事業問題への住民参加は当然のことなのだと思う。
 だからやる気のある住民がいて、財政的の問題を確りする。そして言いたい事ははっきりと言い合う作風を作る。責任は分担して決めたことはきっちりとやる。そうすればちゃんと成果を得られる。
 しかし個々の場での人間関係をどう作っていくか。など本当に皆さん、ご苦労様、お疲れ様と言わせていただきたい。この皆さんのおかげで日本の民主主義はそれなりに機能しているんだろう。

 さて、行商生活も長くなるといろんな経験をする。あれは確かもう十年以上前だったと思う。博多から西鉄で廃棄物処分場問題の集会へ久留米に向かっていた。座席で荷物の仕分けをしていた。「月刊むすぶ」を取り出してゴソゴソしていたわけだ。当然、見知らぬ年配の乗客から声がかかる。
「その本、何ですか?電磁波が人体に影響するのですか?」
「…えっ。これは住民運動の交流誌で…」
西鉄の車両の中で説明を始めるボク。
1冊、700円を頂戴した。
 東北・仙台では、歩道橋を渡っている時、
突然、「四方さん」と声をかけられた。
仙台へは2回目。親しい知り合いはいない。
「この前、戦後責任の集会でお会いしました。仙台に住んでらっしゃるんですか?」
「いえ京都です」
 世間は狭い。      (つづく)

2008年6月25日水曜日

問わず語り② その1

 こんな仕事をしているとそれなりに「有名人」「著名人」に会える。三浦和義さんとは、和歌山市であった。確か林真須美さんの冤罪を告発する集会だった。彼は今、サイパンの拘置所。おかげで林さんからは、たまに手紙が届く。オウム真理教の幹部にも会えた。まあどうでもいいことだが、それなりに自慢できる?自治労の大会に行商にでかけた折、目の前をSPを引き連れて村山富市元総理が歩いていた。思わずオーッと声を上げそうになった。確かに眉毛が長かった。
 
 さて夜行バスに乗り始めて14年くらいになる。大阪から、仙台、福島、いわき、宇都宮、横浜、新潟、長野、米子、松江、山口、熊本、鹿児島と利用した。東京からだと弘前、青森、山形、岐阜、津、高松、徳島、下関、福岡と乗車している。札幌から稚内、函館、釧路というのも経験した。京都―東京、東京―青森、函館―札幌と3日続けて車中泊の時は、さすがに疲れた。
だから一時期、夜行バス評論家を気取っていたものだ。その高速バスが、価格破壊のもと急速に運賃が安くなってきている。大阪―東京間だと3千円後半台が登場している。
 最近の夜行バスは、大体が3列。リクライニングのゆったりシートが主流だ。各社によってすわり心地が微妙に違うのである。北海道のバスは、総じてゴージャス感がある。山陰地方へ向かうバスは、もう一つ落ち着けない。確かに昔に比べれば快適になったが、やはり疲れる。その点、フェリーは手足を伸ばして寝られるのがいい。
 
 市民運動のネットワークというものは、どのように形成されてくるのだろう。
 5月に各地にマンション紛争問題に取り組む人たちが、東京でネットワーク作りの集会を開催した。参加者は、首都圏と福岡県の方々が多かった。これはマンションという高層建築物が投資の対象になっていて、その投資が首都圏と福岡に集中しているということだろう。そしてこのネットワーク中心にいるのが、五十嵐敬喜さん。法政大学教授・弁護士。日本で最初に日照権問題を取り上げた人だった記憶している。彼の人脈でマンション紛争問題に関心のある弁護士、地方議員、住民などが集まったようだ。

2008年6月6日金曜日

ハダカの城




「ハダカの城」を上映します。

 6月28日、寝屋川市立男女共同参画推進センター(ふらっとねやがわ)で西宮冷蔵・水谷洋一さんを描いたドキュメンタリー映画「ハダカの城」を上映します。入場料は無料です!
会場のふらっと寝屋川は、京阪香里園駅すぐです。
 是非、ご来場ください。

1回目 午後1時15分~3時10分
2回目 午後3時30分~5時25分

会場連絡先 寝屋川市香里本町16-15 JAビル4階
        電話 072-832-5580
主    催 日本教職員組合寝屋川養護教員部
        電話072-838-0077担当 川越

2008年5月29日木曜日

問わず語り① その3

 先代がいなくなった時、社員がボクを含めて6人いた。いろいろとやり取りがあるのだが、その辺は省略する。とにかく98年までには、転職したりしてボク一人になる。03年ころまでは、バイトやいろんな形態で手伝ってもらっていた。何とかボク以外にもロシナンテ社の仕事の主体を内側に得たいという大それた野望もあった。
 しかしそれは不可能だった。
 ①まず十分な給料が保障できない。
 ②そして(最近、ようやく気づいたのだが・・・)ボク自身の性格が十分にムズカシイものである。
 ①給料が出せないというのは犯罪だと思う。志では人間生きていけない。
 ②どうしても仕事をこなす速度が違ってくる。少なくともボクは、この仕事においては早い。だからついイライラしてしまう。
 それで結局、現在、ほぼ一人で仕事をしている。経済的には大変だが、一人は、一面、ものすごく気楽で楽だ。人様の面倒をみる器量はボクにはないと自覚した。

 1994年頃から、いろんな集会やイベントを追っかけて本の行商を繰り返してきた。電話営業の限界を感じていたからだ。最初の3年間で日本列島を一回りできた。北は稚内。南は西表島。とにかく歩いた。少なくとも98年頃までは年間百十日は関西圏の外に出かけていた。これに京阪神間の集会販売が加わるのだから一年の半分近くは、何処かの集会に出かけるか、街角にいたことになる。
 この24年間で一番、楽しかったのはこの行商だった。

 夜行バスならば、関西から北は仙台。南は鹿児島まで出ている。両方、約十二時間。東京は七時間くらい。
 仙台の駅前と鹿児島駅前は、そんなに変わらない。鹿児島には、南国風の樹木と明治維新の偉い人の銅像らしきものがあるくらい。それだけ駅前は画一化されている。とにかく朝早く目的地に到着する。これがつらい。しかし、違う土地に来たのだなと感じられるとそれなりの緊張と一種の開放感のようなものが体を走る。ボク自身、それなりにストイックなところがあり、ほとんど観光スポットへでかけることはない。仕事にきたのだから、読者のお金で遊んではいけないと考えてしまう。十年以上前、函館山に登ったきりだ。

 集会に参加して本を売る。それも『月刊むすぶ』を売るわけだ。その頃は、この雑誌がそれなりに売れた。特に行商の初期はこの雑誌だけを売っていた。一日で百冊~百五十冊以上、売れることもあった。
 「この雑誌は各地の市民、住民運動の交流誌として1970年から出しています。書き手、話し手は生活の中で運動を取り組んでいる人にレポートしてもらっています」
 本を並べている売り場に近づいてくる人がある。この人は記者だなと思うと
 「プロの書き手ではなく現場、平場でいろんな取り組みをしている人に書いてもらっています」と叫ぶ。とにかく必死!オーラが出ていたと思う。
 そうこうするうちに『月刊むすぶ』だけでは、売上を伸ばせなくなってきた。そこで他社の本を売るようになった。
(つづく)

2008年5月26日月曜日

問わず語り① その2

 京都府北部で中学校まで過ごしたボクは、当然の様に同和教育というものを受けている。被差別部落民を差別してきた歴史が日本にはある。そしてその差別を無くさなくてはいけない。そのために子供の時から教育の場で、差別と闘う力を身につけなくてはいけない。そんな趣旨だったと思う。中学3年間、週3時間はあったのではなかろうか。
 この同和教育は間違っていないと思う。部落差別は未だに存在する。そして外国人、在日朝鮮韓国人、中国人などへの偏見・差別は、形を変えて未だに続いている。そしてそれは、より露骨に、陰湿になっていると感じる。

 その後、同和教育はいろんな動きの中、低調になっていく。今思うに社会科の時間に、日本の戦争責任をならった記憶はない。先生たちは、「人権!差別はいけない」というが、決して天皇の戦争責任までは話してくれなかった。多分、教組の方針もあったのだと思う。その方針に戦争責任を教えるというのがなかったのだろう。
 つまり学校なんてのは、所詮、人間をどのように管理しやすく育てるかというシステムの一つだから、組織的な動きがないと何も変わらない、変えられないということなのかも知れない。組合が同和教育を方針として推進したから同和教育が盛り上がったというだけなんだろうか。もちろん差別の不条理さに立ち上がった人たちの懸命な努力は尊い。しかし、たえず揺れ動く教師集団もだらしないと思う。
 教師も普通の人間。その普通さをどこまで自覚し、はじけられるか。この仕事を通して教師というものの現実も理解できた。自分自身が求めないと何も始まらない。

 しかし学校全体で差別を考えよう!人権!という風潮の中で勉強ができたのは幸運だったと思う。勉強、勉強、競争、競争よりうんと面白かった。
 そんなバックボーンがあったからだろうか、『障害者解放』という響きには、引力があった。そして彼らの生き様はとにかく魅惑的だった。上田で4年半過ごすことになる。(その前、1年間、松本で過ごしたから計6年近く信州で生活をしていた。)

 1990年夏。先代代表が突然、いなくなった。失踪したわけだ。全てを放り投げて逃げた。それはそれで構わない。このお金にならない仕事を続けることの大変さは、先代とボクにしか分からないと思う。彼を憎いとか許せないとか、正直、ほとんど感じない。むしろロシナンテ社の割と近いところにいて、いらぬ噂をしていた人たちをボクは嫌う。決して責任者に逃げられた当事者に寄り添わず、棒で突いて悦に入っている賢そうな人たちを好きになれない。中途半端に近しい人ほど、無責任になれるのだなぁと実感できる。人間、付き合うならとことんやり抜くか、適度の距離感で眺めているのがいい。しかし「他人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものだ。確かに他者のゴシップは中々、ワクワクするものだ。人の悪口ほど楽しいものはない。

2008年5月23日金曜日

問わず語り① その1

 長年、お世話になっている某大学のKさんに先日、お礼の意味でお茶を贈った。
今日、その返礼が電子メールで届いた。
(電子メールというのが今風だ!)その返事を読んでふと自分自身のことを語りたくなった。

 この場(ロシナンテ社)は、こんどの夏で38周年を迎える。とにかく生き抜いてきたようだ。そしてボクはこの場で24年という時間を過ごした。
 1984年夏から、仕事を始めた。最初、主に集金と電話営業を指示された。
阪急や京阪を使って関西の読者を訪ねてお金をいただく。おかげで阪急と京阪の全ての駅を知っている。朝、9時前に事務所を出る(当時は下鴨神社の裏にあった)。京阪沿線は主に枚方。阪急沿線は高槻、茨木、吹田、豊中、箕面の小中学校の先生たちを回って5冊単位で本を買ってもらう。押売りをするわけだ。定期購読のお金も頂戴する。関西、特に大阪府下は同和教育が盛んで、同担の教師が各校にいる。その先生がターゲット。障害者問題や日の丸・君が代、教育問題のテーマの号なら何とか買ってもらえる。
 学校は朝は九時半ころから20分の休み時間がある。ここで1校。そして12時半ころから給食。中学校なら職員室に結構先生がいる。この時間帯に2校。さして3時半から後2校。一日で5校は回れる。そんな仕事をしていた。
 そして事務所では電話で営業。原発問題ならば各地に反原発運動を担っているグループや労働組合に電話1本でお願いして回る。月に1500冊から2000冊近くは売り上げていた。今はそんな営業は中々できない。その中でいろんなフィールドにいろんな運動をしている人が頑張っていることを肌で感じ取ることが出来たと思う。これは財産になった。正直、内向的な性格だと自分自身では思っている。基本的に一人でいるのが好きだ。そんな人間が一日、受話器にしがみついている。
 「ロシナンテ社の四方と申します。今度、月刊地域闘争の新しい号で●●の特集を取り組みました。(瞬間、間を置く)5冊位、お世話いただけませんでしょうか?」これはとりあえずロシナンテ社とお付き合いのある方へのしゃべり方。
 全く付き合いのない方には、「ロシナンテ社は、各地の市民、住民運動の交流誌・月刊地域闘争を出しています」という説明から入る。
 しかし、なぜ、この仕事をボク自身が選んだのだろう。ロシナンテ社へ来る前、信州・上田にいた。学生だった。いろいろとバイトをしていた。2年目からはほとんど学校へは行かなかった。とにかく講義が面白くなかった。一応、機械工学が専攻。しかしこれが社会学や哲学、経済学が専攻だったとしても学校へは行かなかったと確信できる。とにかく学校という空間に疲れていた。
 ―先日、大阪の専門学校の公開講座を聞きに出かけた。死刑制度を描いた映画の監督が話しをするという。しかし映画の作り方が中心で、何故、死刑というテーマを選らんだのか。その点が見えてこなかった。だから実に窮屈な時間だった。どうも教室が嫌いらしい。
 だからと言って学校を辞めて労働者になる気はなく、いろんなバイトをしていた。あの頃の方が今よりお金はあったと思う。とにかく学生という身分がありがたかった。
 そんな中、必然なのだと思う。いろんな市民運動と関わっていった。大体、社会運動に学生が参加するのが、珍しく、既に学生運動は、大都市の一部の大学の伝統芸能になりつつあった頃。それ故、社会人の方々にそれなりに可愛がってもらえた。いろんなつながりを作ることができたのも事実だった。
 信州で一組の障害者+健全者の家族に出会った。彼が健全者で彼女が障害者。そして2歳くらいの子供。その上、彼女は妊娠していた。脳性マヒの障害者が妊娠して子供を産むということが、その時、不思議だった。正直、その意味が分からなかった。いろんな事実の積み重ねの中で彼女は、妊娠し、子供を得たと思う。
 しかし、彼らの生活は決して楽には見えなかった。というより貧乏だった。市街地からはずれた市営住宅。6畳・4畳半・トイレと剥き出しの壁の風呂。そんな狭い空間に家族4人。そして絶えず学生を中心とした介護人が出入りする生活している。収入は生活保護と彼のわずかなアルバイト収入。彼がいない間を介護人が子供と彼女の面倒をみる。そういう生活の空間のほんの片隅にいさせてもらった。
 そこに障害者解放運動というのがあった。それまで障害者は、福祉の対象。世の中の『善意』で生かされている存在だと社会は見ていた、と思う。
 「障害者も人間として当り前に生きていきたい」
 これは確かに重たい響きだった。彼らの生き様にボクは引き寄せられていった。

2008年5月12日月曜日

イベント紹介

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
     野田知佑ハモニカライブ 9 ~ のんびりいこか、吉野川 ~ 
                     2008,5,31 in 上野
           http://www.axera.co.jp/uenoda/
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 吉野川・東京の会では、徳島県吉野川の自然を守るための支援活動を行っています。
 アウトドア作家であり、日本・世界の川を駆けめぐるカヌーイストでもある野田知佑さんの協力を得て、吉野川の美しさ、自然を守ることの大切さ、川で遊ぶことの楽しさを、一人でも多くの方にお伝えするために、野田知佑ハモニカライブを毎年開催しています。
 作家の夢枕獏さんからは、最新作「キマイラ」の裏話や、獏さんの秘めたおもしろおかしい世界が繰り広げられることでしょう。
 mont-bel創業者である辰野勇さんからは、静かに響きわたる横笛の音が。
 おやじたちの魅力、吉野川の魅力に、たっぷりと浸ってください。皆様のご参加をお待ちしております。
☆ このイベントの収益は、吉野川の自然を守る活動に使われます ☆
 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
 日 時:2008年5月31日(土)
     (開場:13:30 開演:14:00~ 終了19:00(予定))
 会 場:上野公園水上音楽堂
     (上野公園 不忍池の南側、雨天開催)
 参加者:600名(全自由席)
 参加費:1,800円(中学生以下無料)<割引 1,500円>
     イベントチラシ、Webページをプリントしてご持参の方は割引!
     <当日券のみ>参加費は入場の際に入り口でお支払いください。
●出演
 野田知佑 作家・カヌーイスト 
 辰野 勇 冒険家・モンベル創業者
 夢枕 獏 作家・釣り人
●時間割
  1限目 川の楽団演奏会
      野田校長、辰野教頭のれんしゅう
      ハルユキ、PTAの演奏
  2限目 野田校長の川の学校のおはなし
  3限目 夢枕獏先生の「夢のネタばなし」
  4限目 ハモニカライブ
       野田校長のハモニカ、辰野教頭の横笛
  ホームルーム チャリティ・オークション
  課外授業 野田校長・夢枕獏先生のサイン会

●会場では、野田知佑ハモニカライブオリジナルTシャツや、出演者の書籍
 などの販売。
 徳島名物のフィッシュカツやジャコ天、お飲物等を用意しています。
 プログラムの最後には、恒例のオークションも実施。お楽しみに!
●交通  東京メトロ千代田線湯島駅・銀座線上野広小路駅 徒歩3分
     JR御徒町駅・上野駅 徒歩6分
     都営大江戸線上野御徒町駅 徒歩4分
●主 催 吉野川・東京の会
●イベントHP http://www.axera.co.jp/uenoda/

2008年5月8日木曜日

駅についた。

 駅についた。
 夜、8時。今晩はどこで寝るか。
 この街には泊めてもらえる程、親しい知り合いはいない。公衆電話を探す。
 携帯の普及ですっかり少なくなったが流石に駅にはある。電話帳をめくる。
 サウナはあるな。最悪、サウナ。いやまてよと思って駅の外を眺める。季節は初冬。暗くなっている。
 結構、賑やか街だ!きっとネットカフェもあるだろう。
 しかし行商も4日目。それなりにきれいなところで寝たい。昨晩は夜行バス。
 おっとあったあった。1泊2800円。早速電話。
 駅から歩いてすぐ。狭い部屋。しかし風呂は共同だが広々としている。手足を伸ばせるのが嬉しい。
 何か夕食をともう一度、街へ。
 スーパーが駅裏にある。閉店直前の安売りがある。この街でしか食べないようなものはないかと探すかよくわからない。
 200円で巻き寿司を買う。今晩はこれで我慢しておこう。
 こうして一日が終わっていく。

2008年4月25日金曜日

ご協力をよろしくお願いします!

「川辺の民主主義」。
この春、ロシナンテ社がどうしても広めなくてはいけない本です。
是非、お力をお貸しください。
ダム問題や公共事業関連の集会などを開く際、是非、会場の片隅にでもおいて委託販売をお願いします。
1575円を1200円で卸します。
よろしくご検討くださいませ。
連絡先
電話・ファックス  
075‐533‐7062
 
ダムは造らなくても持続的に河川を補修する知恵を私たちは培ってきました。
もうこれ以上、ダムはいりません。
それ以外に、福祉や教育なんかにお金を使いませんか?
民主主義は私たちが参加することから始まります。そんな当たり前のことを実現する材料としてこの本を使ってください。
ロシナンテ社 四方哲

2008年4月22日火曜日

SOS

ロシナンテ社、お金と毎日格闘している。
とにかくお金がない!
何やかやと月々75万円は必要になる。
このうち104000円が私の給料。(単行本の印刷代の支払いがあるとこの給料が遅配になる。
たまらん!)
これから年金、健康保険など払うと89000円程度残る。
これから返済金2万円を払う。
このお金も会社の借金を何で個人が返さなあかんのと
思いながら銀行口座に入金する。
で、残りが約69000円。
食費が月25000円あれば十分。
あと44000円。
ウ-ん、十分くらせるか!
とにかくぜいたくぜず貯金しておこう。
とにかく単行本の資金がない!
とにかくあと20年はこのネットワークを維持しよう。
きっと何かが始まるはずさ!

2008年4月9日水曜日

「川辺の民主主義」



 ロシナンテ社の取り組む単行本第6弾です。
 「川辺の民主主義」
 私たちは、太古のころより自然との共生を求めてきました。その知恵が各地に川には息づいています。自然を征服するのではなく、その力を上手に逃がす。川が氾濫しても最低限の被害ですむような工夫を随所にとりいれてきました。
 そんなことを忘れて未だにダムを各地に造ろうとしています。もちろんこれには、いろんな利権が絡んでいます。お金があるからこそのダム建設です。
 そんなダム建設に反対している人たちの声と吉野川の経験中心にしてこの本は構成されています。
 是非、買って読んでください。

主の話し手と書き手は・・・

① 吉野川・・・姫野雅義さん・巣山太一さん・豊岡和美さん
② 河川工学の専門家・・・大熊孝さん
③ 武庫川流域委員会・・・松本誠さん
④ サンルダム・・・小野 有五さん
⑤ 八ッ場ダム・・・渡辺 洋子さん
⑥ 淺川ダム・・・内山 卓郎さん
⑦ 安威川ダム・・・江菅 洋一さん
⑧ 槇野川ダム・・・榊原 鉄次さん
⑨ 寒霞渓・・・山西 克明さん
⑩ 山鳥坂ダム・・・有友 正本さん
⑪ 水の民営化・・・神田 浩史さん
⑫ 水俣の水源地・産廃問題・・・高嶋 由紀子さん
⑬ 大和川の水質を良くする住民運動から・・・黒田 伊彦さん

こんな皆さんにお世話になって取り組んでいます。
 本文 203ページ
 定価 1575円

 この本は決して学術書ではありません。現場・平場の声を集めた住民の民主主義実現のためのささやかな武器です。
 是非、ご注文ください。集会等での委託販売もよろしくお願いします。

2008年3月28日金曜日

知ることは大切だ

 知ることは大切だ。先日、朝鮮学校を知って交流する集会が、大阪・生野区であった。大阪には、在日の人が沢山住んでいる。その朝鮮学校は拉致問題以来、さらなる差別にさらされている。
 拉致問題と学校を一緒にされてはたまらない。少なくとも事件を引き起こした者と朝鮮学校の子供たちは関係ない。
 とにかくボクは日本にしろ、朝鮮民主主義人民共和国にしろとにかく『国家』というくびきに個人が縛られるのがたまらないと感じてしまう。
 子供の頃、友達の家に遊びに行った。
家の前に見知らぬ旗が風に舞っていた。
共和国の旗だった。家の中に肖像画が飾ってあった。それが金日成だと後に知った。その子の親は、戦争中、日本に渡ってきたそうだ。中学校に進級するとき、舞鶴の民族学校に進学したが、馴染めなくてすぐ帰ってきた。ある朝、教室の前に母親と立っていたのを憶えている。
 30年以上前の、京都府北部の田舎町のことだから当然、学習塾なんかはない。そろばん塾はあった。お寺の下のプレハブが教室。そこに彼も通っていた。ボクよりソロバンができた。
 
 そのころ関西は同和教育の創成期だから差別に対しては、教育現場では敏感だったと思う。学校で教えられたことで脳細胞に刻まれたのが「寝た子をおこせ」だったかな? 差別の実態を子供に教えて、差別に立ち向かえる人間に成長する。というのが命題だったようだ。
 高校は、一人京都市内に進学したので、その後の彼のことは分からない。
 とにかく知ること。そして情報はいつでも公開されていること。それが一番、健康な社会ではないのでしょうか。

2008年3月18日火曜日

KY?

 空気が読めないとアカンのか!
 うん~
 相手を思いやることは大切ですね。でもKYという単語で集団に個人を縛っちゃアカンはな。そう思う。
 環境問題に取り組むミニコミを出す方が、この場では批判しあわないことを大切にって話してくれた。長年、障害者運動に取り組む人が「最近の障害者は怒りを忘れている」という。
 確かに障害者自立支援法はあこぎな法律だ。しかし反対運動にもう一つ熱気がないように思う。
 社会の仕組み自体が変化してきたのだとは思う。民衆の怒りがどこかで吸い取られてしまっているのかもしれない。
 というより貧困問題もそうだけど僕らは自前でなんとかしようといているのかもしれない。
 つまり政府なんていらないよ。
 自分たちのことは自分たちで何とかするから。民衆はそう考え始めているのではなかろうか。そうでないと橋下氏を選ぶ大阪府民が理解できないのです?!

2008年3月11日火曜日

映画の上映会

 連合赤軍をテーマにした映画の上映会が京大西部講堂であるそうだ。何人もの方からチラシをもらった。中々行く気がしない。すくなくともその場に漂う空気が嫌だ!
 ボクは当時、小学6年生だった。「総括」という言葉を記憶している。
 侵略戦争から約25年の時間が経った時代。ドストエフスキーの「悪霊」を引用して、革命運動と人間の弱さを語る人もいる。
 その時代を経験する中で障害者の人たちと日常を共にして生きていく人を知っている。そんな人が好きだ。水俣に住み着いた人もいる。確り生活している。
 とにかく皆、どうしようもなく日常の中で生きている。そういう人たちをよく知っている。当時、子供であったボクからするとこの映画を観に来る人たちが作る空間は・・・・近づきたくない。
 もし映画を観て「懐かしむ」人がいたら・・・。ウーン?
 少なくともボクは、このロシナンテ社という場を、何の因果か分からないけれど任されている。この場につながる少数派の声をネットワークできれば、何かを伝えていけるかもしれない。それぐらいの思い入れでとにかくご飯を食べていければ、いいやと考えるようにしている。
 多分、逆エリートのなれの果てというのだろうか、思い込みの激しい世代というのだろうか、そういう団塊の世代の腐臭を漂わせる人がいそうで・・・嫌だ。関係者各位の皆様、失礼の段、ご勘弁を!

2008年3月6日木曜日

行商日記②

 新潟からもったいないが、新幹線で東京へ向かう。お土産に純米酒を2本買う。これも営業のツールだ。
 しかし、新幹線は早い、快適だ。体が楽だ!これが夜行バスだとそうはいかない。お金をかけない移動で一番、体が楽なのはフェリー。これは愛媛、高知そして福岡、大分、宮崎、鹿児島には使える。
 夜移動するのだが、2等船室でも充分手足を伸ばして休めるのが嬉しい。
 9時前に今日泊まる所へ到着。タダで休める貴重なスペースだ。東京に、そんなところを何箇所か確保している。
 ナナイの涙を連載してくれている中井さんが先客でいる。フィリピンの政治的殺害問題をテーマにした映画の編集をここで取り組んでいる。
 2日、日本青年会館での日本有機農業研究会の全国大会に参加、本売り。1年に1回、お会いする方もいる。こういう場に立っていることがロシナンテ社の宣伝になる。

2008年3月3日月曜日

行商日記①

 2月29日→3月1日。夜行バスで新潟.。駅前に早朝7時過ぎに到着。ダム問題の権威・大熊孝さん(新潟大学教授)の退官記念最終講義に参加。500人余集まる。この3月末に「川辺の民主主義」という単行本を出す予定。大熊さんにも書いてもらうのでまずは挨拶。そしてその営業を兼ねての出席。
 まだ時間があるので、駅の待合室ですごす。持参の弁当を食べる。新聞を読む。ボーッとしている。この時間が一番いい。
 9時近くなったので、駅から歩いて10分ほどの距離にある中央郵便局へ出かける。今度、出す単行本のゲラを3人の方々に送っておく。
 「ルポ貧困大国アメリカ」を読む。貧しさが収奪されるために存在することを教えてくれる。労働すべてが、ローンの返済に向けられ、そして生活困窮者へのサポートに名を借りて支給される食料によって肥満が貧困者に蔓延する。そんなアメリカの現実が報告されている。
 11時近くなる。会場のホテルへ向かう。
 ロビーのソファーにじっと座り、どんな人たちが来るか観察。本の売り方を研究。昼前、主役の大熊さん登場。ご挨拶。
 旗野秀人さんも到着。三治さんと祝い歌を披露するそうだ。
 旗野さんは、30数年の間、新潟水俣病者さんの支援者として地域に根ざした取り組みをしてきた人物。実にユーモアに溢れたキャラクターだ。彼が新潟にいたことでどれだけ救われたか。映画「阿賀に生きる」の影の功労者かもしれない。
 地域で人とひとの輪を作ることの大切さを教えてくれる。「水俣病」という深刻な世界に当たり前の日常があることをぽんと世間に知らしめたそのキャラクターは、ありがたい。
 定刻どおり夕方5時に終了。
 自然科学者で市民運動に参加する人が減ってきた中、大熊さんのような方がいることはありがたかった。しかしそんな人材が減ってきているのは寂しい限りだ。
 大熊さんはダムの土木が専門。となるとこれまでの主張は限りなく、建設業界や電力会社、行政を敵に回したもの。そんなポジションの方をどうやって確保していくか。
 それもこれからの私たちの課題だろう。

2008年2月14日木曜日

日の丸・君が代の集会

 2月11日、大阪で日の丸・君が代の集会。
 本を売る。参加者は年配者が多い。48歳のボクが若い方。集会自体あまり宣伝していないから無理もない。時代の空気がドンドン戦前回帰といわれる。でもボクらはどれだけ発信をしてきたのか。進歩的とか左翼とかリベラルとか言われてちっぽけな自尊心を満足させているのではなかろうか。
 ある公立中学校の卒業式で不起立の教師がいる。それを咎める関係者。そして後ろのほうでザワザワおしゃべりする子供たち。この場合、子供たちが一番、正気ではないかと思ってしまう。
 日の丸・君が代を押し付ける教育委員会や管理職が、間違っているのはよくわかる。ボクは日の丸・君が代は、民衆を「国家」に縛り付けるための道具である。そしてそれらが、侵略戦争の象徴であることは事実だと確信している。
 だから日の丸や君が代は拒否すべきものであると考えている。
 しかし・・・ザワザワしている子供たちがどうしても気になる。
 市民運動全体に言えることは、その視線は決して優しくない。自己満足のためにがんばっている?
 それなら自己満足を突っ切って「自己実現」「自己表現」のためともっともっと自覚したらどうだろう。

2008年2月5日火曜日

食のグローバリズム

 中国で製造された冷凍餃子に猛毒の餃子が含まれていて被害者が出て連日マスコミが大騒ぎしています。少なくとも死者が出ていないことが幸いです。
 しかし気になるのが、中国が悪い!の声のオンパレード。
 日頃、グローバル化を喧伝しているメディアは、一方で「日本は・・・」とせせこましいナショナリズムに陥っているようでなりません。この事件が私たちへの食について警鐘を鳴らしてくれたのだから、これを機会に「食のグローバリズム」から抜け出すために食べ物についてもう一度考えてみては如何でしょうか。
 しかし、「中国の食品衛生は貧困だ!」「ここではっきり主張しないと中国になめられる」などの意見を社会の木鐸であるマスコミが垂れ流していいのでしょうか?
 ロシナンテ社は、38年目の冬を過ごしています。正直、お金が厳しいです。是非、お力をお貸しください。よろしくお願いします。

2008年2月1日金曜日

むすぶ~自治・ひと・くらし~

 ロシナンテ社は1970年、「月刊地域闘争」(いまは「月刊むすぶ~自治・ひと・くらし~」を出すことを仕事としてスタートしました。当時、各地で公害問題などの環境破壊、自然破壊が蔓延していました。そんな現実に声を上げ始めた住民が、相互交流する場としてこの雑誌は誕生しました。
 大阪府知事に橋下さんというタレント・弁護士の人が当選しました。選挙告示直前に立候補。まあ対抗馬もぱっとしないから毎日のようにテレビに出ている人が当選するのは当たり前かもしれません。
 ということは「有名」でないとアカンのでしょうか?
 住民運動、市民運動、いろんなNPO活動に参加する人たちはほとんど無名。でも自分の意見は言いたい!これ人情。テレビを中心とするメディアの世界は変?地域の、政治の決定に直接参加したい。これは当たり前の感情。そんな平場・現場の声を集めるのが、ロシナンテ社=「月刊むすぶ~自治・ひと・くらし~」です。