2月11日、大阪で日の丸・君が代の集会。
本を売る。参加者は年配者が多い。48歳のボクが若い方。集会自体あまり宣伝していないから無理もない。時代の空気がドンドン戦前回帰といわれる。でもボクらはどれだけ発信をしてきたのか。進歩的とか左翼とかリベラルとか言われてちっぽけな自尊心を満足させているのではなかろうか。
ある公立中学校の卒業式で不起立の教師がいる。それを咎める関係者。そして後ろのほうでザワザワおしゃべりする子供たち。この場合、子供たちが一番、正気ではないかと思ってしまう。
日の丸・君が代を押し付ける教育委員会や管理職が、間違っているのはよくわかる。ボクは日の丸・君が代は、民衆を「国家」に縛り付けるための道具である。そしてそれらが、侵略戦争の象徴であることは事実だと確信している。
だから日の丸や君が代は拒否すべきものであると考えている。
しかし・・・ザワザワしている子供たちがどうしても気になる。
市民運動全体に言えることは、その視線は決して優しくない。自己満足のためにがんばっている?
それなら自己満足を突っ切って「自己実現」「自己表現」のためともっともっと自覚したらどうだろう。
四方さん発見。
返信削除うちらのいんちきブログに、リンク貼っときました。
ところで、「自己満足」について、です。
とある総会屋の方が、
「自分はやりかたによってはラルフ・ネーダーのようになれた」
という感じのことを書き残していました。
そうか、いろんなところで感じる、
あの冷たい視線はそういうことだったのか!
と、そのとき妙に腑に落ちた感触を憶えています。
あるいは、場の雰囲気を壊す行為、
とある地方では「いらんこといい」と評される、
そういうはなつまみものに向けられる視線、
にも違いないと思います。
そういう視線を、向けられてばっかりな気が・・・