2008年6月30日月曜日

問わず語り② その2

 これまでこの問題をテーマにしたネットワークはあるようでなかった。その中で都市の再開発が、急速に進む福岡市の住民が五十嵐さんを講演に呼び、叱咤激励される。とにかく負け続けるマンション紛争。これでたまらん!なんとかせねばと全国ネットワークを呼び掛けたようだ。誰かが旗を掲げれば人は集まる。そういうものなのだろう。
 実質的な事務局を東京の弁護士さんたちが担っている。弁護士という仕事は、社会的な課題に取り組む際、かなり有効なポジションだと思う。その点、研究者、大学の教師というのは、自然科学系はそれなりにポジションが分かるのだが、社会科学系の研究者というのはこれはどうもと言う人が多いように感じる。生活と発言の間に距離があり、どうしてもリアリティがない。
そしてその専門性が、市民との間に境がなくなってきている。 
 この集会では、マンション建設反対の幟の立て方から、資材を運ぶトラックがやってきたらどこまで実力行動を取っていいのかとか、これが平和な住民か!という質問や意見が飛び交っていた。
 福岡の市民団体の方が、「地域で住民運動を続ける際、どうしても活動する人に偏りがでる。その辺りをどう調整しながら根気強く運動を続けるか。福岡では裁判所へ建設差止めを求めてもことごとく負ける。
そして建設が始まると運動自体が下火になる。それでも続けることで次の建設を止めることになる」という発言したのは印象に残っている。
 住民は、市民は、自分たちの生活の場を大切にしたい。街づくりなどの課題には、直接参加して意見を言いたい。そんな欲求が当然のようにある。ダム問題をはじめ、各地での公共事業問題への住民参加は当然のことなのだと思う。
 だからやる気のある住民がいて、財政的の問題を確りする。そして言いたい事ははっきりと言い合う作風を作る。責任は分担して決めたことはきっちりとやる。そうすればちゃんと成果を得られる。
 しかし個々の場での人間関係をどう作っていくか。など本当に皆さん、ご苦労様、お疲れ様と言わせていただきたい。この皆さんのおかげで日本の民主主義はそれなりに機能しているんだろう。

 さて、行商生活も長くなるといろんな経験をする。あれは確かもう十年以上前だったと思う。博多から西鉄で廃棄物処分場問題の集会へ久留米に向かっていた。座席で荷物の仕分けをしていた。「月刊むすぶ」を取り出してゴソゴソしていたわけだ。当然、見知らぬ年配の乗客から声がかかる。
「その本、何ですか?電磁波が人体に影響するのですか?」
「…えっ。これは住民運動の交流誌で…」
西鉄の車両の中で説明を始めるボク。
1冊、700円を頂戴した。
 東北・仙台では、歩道橋を渡っている時、
突然、「四方さん」と声をかけられた。
仙台へは2回目。親しい知り合いはいない。
「この前、戦後責任の集会でお会いしました。仙台に住んでらっしゃるんですか?」
「いえ京都です」
 世間は狭い。      (つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿