2009年5月29日金曜日

最深部

南富良野町落合。道路沿いに何軒か商店が立ち並ぶ。そのうちのいくつかは、すでに空き家だという。その中で営業しているひとつの店に案内してもらい入る。入り口に新沼謙治コンサートのポスターが貼ってあった。棚に50円と赤いマジックで値段が書かれた箱がある。紅ショウガ、袋の裏を見る。賞味期限は一年前。その他いろいろな漬物らしきものが無造作に積んである。どれも賞味期限がとうに切れている。店の奥にはいろんな農具が所狭ましと並んでいる。トランプなどの玩具まである。
南富良野町、人口約2900人。北海道の真ん中より南西の内陸の過疎の町。北海道の最深部なんだろう。
こんな過疎の町にどんころ野外学校はある。代表は目黒義重さん。山岳ガイドやアウトドアガイドの資格からカーリング指導員の資格も持つ。オリンピックで活躍した目黒萌絵さんのお父さんだそうだ。そんな彼が率いるどんころ野外学校は、参加者と一緒に四季を通じてアウトドア体験やラフティング、スクール、キャンプそしてカントリーライフを楽しみながら指導して生計をたてている。スタッフは12人。このスタッフの子ども6人が、落合集落の小学校 児童の半分を占めるという。そして自分たちの住居は、スタッフの中の大工経験者が中心になって自分たちで作ったという。ひとつの共同体を目黒さんという個性が作り出したのだろう。
幕別町の農業経営・長坂さんの話だと、元来、北海道は農業には適していない。先住民が自然と共生して生きていたところに無理やり農業を持ち込んだ。開拓初期は、本当にギャンブルのような農業をやっていた。ビートが儲かるとなるとそればかりを何年も連作する。当然、耕地が荒れる。そうすると開拓民は次の土地に移るという。一旗上げて故郷に戻ることを目標に、「内地」から人口流入があった。
どんごろのある南富良野は、約120年前、砂金採取で人が移り住み、それからは林業が盛んになり、人口が増えていったという。半世紀前には、1万人を超えていた。しかし木材の自由化で人口は現象していく。そんな中、アウトドアを一つの生きる糧としてとらえ、スタッフが食えることを考え、どんごろ野外学校は、1989年に設立されている。冒険家の植村直巳さんとも因縁があり、北海道のアウトドア業界では老舗だ。
この目黒さんを頼って若者が各地から集まってくる。結果、どんころ野外学校というアウトドア共同体が形作られる。住宅を建設するのは、朝飯前。何人も大工経験者がいる。最近では、野外学校でパン焼きの修行をしていた若者が、どんごろを巣立ち同じ町内にパン屋兼喫茶店を開店した。彼は埼玉県から北海道にやって来たという。
 同じ北海道でも伊達市では、リタイアした人たちの終の棲家として地域作りをして一定の成果を上げたという。ところがその手の移住者は、積極的に地域社会に貢献する人は少ないという。さらに別荘が、都会の資本によって開発されて売れたとしても地域社会は決して元気にはならない。地方が本当に欲している人材は、そこに住み着き、何がしかのつながりを作ろうとする生活者ということだ。
 どんごろというコミューンは確かに今は成功した。しかしこの成功は、目黒さんという決し気負いを感じさせない個人の魅力に負うところが大きい。個人の力は、小さいようで意外に変化を演出しうる。その変化への入り口を、誰でも利用できるものにするのが、行政などの社会的責任ということではなかろうか。どんな地域でも見本にできる処方箋はいまのところ中々見つけられない。地域の活性化は、それぞれの場で偶然と創意工夫で何とか進められているのが実情だろう。
 幹線道路をラフテングのゴムボートを積んだ車が何台も上流を目指して走っていく。
(しかたさとし)

0 件のコメント:

コメントを投稿