2009年3月23日月曜日

ロシナンテ四方山話

「この湾を埋め立てるな!」と反対する地元住民の監視小屋のそばに日の丸が風にはためいていた。湾を埋めたてて、自衛隊の基地を誘致する計画がある。潮風に泳ぐ日の丸は元気一杯だった。
一方、東京や関西などで卒業・入学式の日の丸・君が代に教職員が、不起立で意思表示をすると「処分!」となる。
信じられないことに、ちゃんと学校で式が進行しているかを監視する人たちがいる。オイオイ、自警団かよ!多様性が認められない。それがこの国、日本だ。
それならいっそのこと「式」を止めてしまうのもよかろうに、と思う。すくなくとも公立校は、全ての人に開かれるべきもの。押し付けられる日の丸・君が代で混乱するくらいなら儀式など不要。
国家に「日の丸・君が代」で一括りされたくない。その変わりいろんな「日の丸・君が代」があってもいいだろう。しかしボクは、「君が代」に生きているのはない。私の世に生きている。もっと「日本人」は多様性を認めてもいいものを、と思う。
天皇教として民営化してもらって、日の丸はその宗旗。君が代はその宗歌。そういうわけにはいかんのだろうか。
結局、戦争の加害者責任を十分に論議することなく、戦後の経済的な復興を果たしてきたそのツケが今負債となって目の前にある。お金は大事だが、それだけでは堕落する、と思う。
ところが戦後64年ともなると「無責任」というのが、ボディブローのように効いてくる。その痛みを、記憶の底に沈殿させ、「美しい日本」が登場する。「海外派兵もいいじゃないの」。そんな雰囲気が蔓延してくる。これが今の日本らしい。

「美しい国」の次も政治家を家業にしている人が政治もトップにつく。今の人は漢字の読みをよく間違える。何かとんでもない思い違いと劣等感を体中にまとっている。こうなるととても政府なんて信用してはいられない。というより怖い。景気だって悪い。どん底だ。(本が売れん!)
国会議員は、庶民の生活など全く分からない奴ばかり。あとは、自己防衛しかない。こうなると、庶民は自前の共同体作りに励むしかない。
まず農業者と仲良くなり、食料を確保する。できたら日々の野菜くらいは、自給できるようになりたい。しかし百姓になる根性がないボクなんかは、「ロシナンテ的ネットワークを構築するぞ!」なんて言いながら生きていくしかない。
Hさんというカウンセリングを生業にしている人がいる。彼から見るとボクの生き様は、山頭火みたいなものらしい。かなり外れていると思うのだが…。
さて社会的な回路は、いろいろあった方がいいに決まっている。ロシナンテ社は、この社会のささやかな末梢神経の一つなんだろう。免疫力を高める神経のひとつなんだと思う。少なくとも世の中のがん細胞ではないはずだ。
 国家・行政とは、遠いところに私たちの共同体を作る。自立した生活の場を営む。地域で自給的な生活を始める。食べ物は地産地消の実践。もちろん原発の電力なんか必要としない自治体レベルで管理できるエネルギーシステムが維持・運営されている。そこから自立が始まる。
 しかし今度の冬は、本当に暖かだった。
寒い冬がいい!演歌に歌いこまれるああいう冬がいい。冬はとにかく寒くなくては駄目だ!
(しかたさとし)

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